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憂「手をつないで、外へ出よう」 

カテゴリ:けいおん!SS

1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 05:30:01.06 ID:op33K3/A0

たったらゆいうい


3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 05:33:46.69 ID:op33K3/A0


ひらさわけ!

憂「えっと、三年ぐらい前の話だけど、していい?」

梓「三年前だと…唯先輩が中三の時?」

憂「そうだよ。たしか九月ぐらいだったかな」

梓「あ。そのころって……」

憂「うん。お姉ちゃんが引きこもってたころ」


4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 05:40:06.04 ID:op33K3/A0


梓「でも想像できないなあ……だってあの唯先輩でしょ?」

憂「お姉ちゃんはずっとやさしかったよ」

梓「まぁ、ニートになってごろごろしてるだけなら目に浮かぶけど…」

憂「あはは、それ律さんにも言われちゃった」くすっ

梓「私も憂や純からちらっとは聞いてたけど、つまり……そういう事情だったんだよね?」

憂「……うん。学校、行けなくなっちゃって」


5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 05:46:15.36 ID:op33K3/A0


梓「ごめん、つらかったらいいよ」

憂「気にしないで、梓ちゃんには聞いてほしかったから」

梓「憂がそういってくれると、ちょっとうれしいかも」

憂「ありがと……えっと、そのころベタってお魚飼っててね」


6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 05:52:15.73 ID:op33K3/A0


  ◆  ◆  ◆

唯「ういー、アイスー…」

憂「おはようお姉ちゃん、お昼ごはん食べてからね」

 九月のよく晴れた水曜日のことでした。
 カーテンの閉められた薄暗い部屋ではたきを掛けていると、お姉ちゃんの眠そうな声が聞こえてきました。

唯「あれ…うい、起きてたの」

 そっとベッドに腰かけた私を見上げる、まだ寝ぼけた目のお姉ちゃん。
 熱っぽい湿気を帯びた布団から白い腕だけを出すと、私の手を探して握ってくれました。
 布団の中で汗ばんだ手のひらはどうしても昨日の夜を思わせるので、あわてて話題をそらします。

憂「えっとね、九時ごろにおばあちゃんが来てたんだ。お野菜とか持ってきてくれたよ」

唯「そっかぁ……ありがと、うい」

 お姉ちゃんはふわっとほほえみを浮かべてまた布団の中にもぐり込もうとします。
 遮光カーテンに光を遮られたこの部屋はどこか湿っぽく、教室に忘れられた水槽のようによどんだ空気に満ちています。
 でもその生ぬるい空気もなぜだか居心地がよくて、なんだかお姉ちゃんと一眠りしたくなってしまいました。
 いけない、いけない。

 私は無理やりお姉ちゃんのベッドから立ち上がり、カーテンを開けました。


7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 05:58:35.38 ID:op33K3/A0


 差し込む強い光は、この部屋の水分すらも蒸発させていくようで、心地いいはずなのになぜか心もとなく感じてしまったりして。

唯「ん…まぶしい……」

 お姉ちゃんのうるんだ二つの瞳はまだ夢と現実との間をさまよっているみたいで、陽の光にきゅっと目を細めています。
 カーテンをもう一度閉めてあげようかちょっとだけ迷いましたが、やっぱり起こすことにしました。

憂「ほら、もう十一時過ぎなんだよ?」

 もぐり込もうとするお姉ちゃんの布団を少しだけゆすって声を掛けると、お姉ちゃんは中から顔を出してごまかすように笑いました。
 つられてこちらの口元にも笑みがうつってしまい、胸の奥にほっこりした熱が点るのを感じます。
 日差しに乾いていくシーツをすがり付くように握り締めたお姉ちゃんがいとおしくて、カーテンを開けてしまったことをちょっと後悔します。
 本棚のホコリすらしっとり湿らせるような心地よい蒸し暑さと、甘味料のように吹き込むかすかな風。
 重なった二つの含み笑い。

 ……ごめんなさい。
 こんな瞬間が一番幸せなんです。


9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:04:42.88 ID:op33K3/A0


唯「じゃあご飯たべなきゃだねぇ」

 お姉ちゃんは布団の中をごそごそと探り、脱ぎ捨てた下着をつけなおして身体を起こします。
 見慣れた着替えなのですが……やっぱりどうしても意識しちゃうので、パソコンのホコリをわざと念入りに落とします。
 すると机の下で電源が入れっぱなしのモデムがかなり熱くなっていました。
 お姉ちゃんは昨日、一緒に寝る前に誰かとチャットでもしていたのでしょう。
 一晩ずっと点いたままだったモデムは人肌ほどに温まり、今も接続先を求めてちかちかと点滅しています。
 このままだと壊れてしまうのですばやく電源を落として、早く冷めるように日差しの当たらぬところに移しました。

唯「ねぇ、憂」

 ぼんやり考えていたら、すっかり目を覚ましたおねえちゃんに話しかけられました。
 その声がやけに冷たく聞こえて、息苦しく感じて一瞬戸惑ってしまいます。

唯「……やっぱいいや」

憂「あっごめん、なぁに?」


唯「私。引きこもり、やめた方がいいよね」


10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:10:54.38 ID:op33K3/A0


 お姉ちゃんは今年で中学三年なのですが、いまは学校に行っていません。
 学校でうまくいかなかったせいで、玄関から外に出ようとすると体調を崩して立っていられなくなるみたいです。
 心の病気で家から出られないお姉ちゃんが心配で私も付き添う生活が続き、かれこれ半年近く経ちました。
 両親は今もどこか遠い国を飛び回っていますが、お隣のとみおばあちゃんと和ちゃんが週に二、三度食料などを持ってきてくれるので不自由はしていません。

 思い返すと昔から私たちの両親は不在がちでした。
 私も両親に抱きしめられるより、とみおばあちゃんに抱きしめられたことの方が多かった気がします。
 お母さんの腕の感触や手の温もりはかろうじて覚えていますが、お父さんの手のひらは今ではよく思い出せません。
 もちろんお姉ちゃんはあの頃からその百万倍抱きしめくれましたけどね。
 言葉のあやでなく本当に、平沢憂はお姉ちゃんの腕の中で育ったようなものなんです。

 とにかく、私たち二人は和ちゃんやおばあちゃんの助けを借りながらもなんとか暮らせています。
 狭い家の中だけれど私たちは満ち足りた生活を送っている。そうに決まってるんです。
 けれどときどき……これから先のことを考えると、不安でたまらなくてめまいを覚えてしまうのです。
 そう。今みたいに。

憂「無理、しなくていいんだよ? お姉ちゃん」

 お姉ちゃんが無理に外に出てしまったら、どうなってしまうんだろう――


12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:17:24.30 ID:op33K3/A0

 自分の声が変に震えてしまって、唇がうまく動きません。
 どうしよう。お姉ちゃんを元気付けなきゃいけないのに……。

唯「あっごめんね、なんでもないよ。 じゃあお昼にしよっか!」

 お姉ちゃんはそう言ってベッドから飛び出して、Tシャツにホットパンツだけの格好で私の手を引きました。
 やわらかい外の日差しを集めたようなお姉ちゃんの笑顔は、いつだって何もかもを忘れさせてくれます。
 手を引かれてリビングに着く頃には、不安の種も消えてしまったみたいです。

 でも、お姉ちゃん。
 家の中だけど、一応ブラはつけてほしいかな……。


14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:23:32.67 ID:op33K3/A0


 しばらくして、私たちはお昼ごはんをいただきました。
 と言ってもちゃんとしたものでなく、冷蔵庫にあった鶏肉と卵を使って簡単な丼ものを作っただけなのですが。
 ご飯を作っている間にソファーに仰向けで横たわったお姉ちゃんが向けた、さかさまの笑顔。
 床に垂れ下がった伸びた髪は窓から吹き込む風にかすかに揺れる姿は、台所でガスを使う私の心も風鈴のように涼ませてくれました。


唯「ええー…だって、寝てる間とか背中きっついんだもん」

憂「お姉ちゃん、そんなこと言ってるといいお嫁さんになれないよ?」

 テーブルに二人向かい合って箸を動かしながら、そんなたわいもない会話を交わします。
 みりんの量を少し変えたのが功を奏したのでしょうか、お姉ちゃんのほっこりした顔も今日は多いようです。
 机の下でちょっとこぶしをにぎって、ガッツポーズ。バレたらはずかしいな……。


15: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:27:52.02 ID:op33K3/A0


唯「うい? 憂、きいてる?」

憂「あっごめんお姉ちゃん」

 おいしそうに食べるお姉ちゃんを眺めていたら、いきなり話しかけられてびっくりしてしまいました。

唯「ははーん、さては私の顔に見とれてましたな」

憂「もう……そんなことないよ、お姉ちゃん」

 あわててお漬け物に箸を伸ばして落としそうになってしまいます。
 なんでわかっちゃうんだろう、私のこと。


16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:34:01.37 ID:op33K3/A0


唯「でもね、私お嫁さんにならなくてもいいかな」

 ふいに箸を止めて、お姉ちゃんはそんなことを口にしました。

憂「どうして?」

唯「憂と結婚すればいいじゃん」

 それはお姉ちゃんにとって、話の流れからふいに湧いた軽口に過ぎなかったのでしょう。
 けれど胸の奥に無邪気に飛び込んできたその言葉は内側から必要以上に甘く蝕んでいく気がして、

唯「……あは、そんな顔しないでよ。そういうことじゃないって」

憂「もう。変なこと言わないでよ、お姉ちゃん」

 場をつなぐようにお姉ちゃんと笑い合ってみます。
 けど、ほほえみを浮かべようとするこの唇はどこかぎこちなくて。
 なんとなくだけど、お姉ちゃんも無理して笑い合おうとしてるみたいで。

唯「じゃあ、きょうはお皿洗うよ」

憂「うん。……ありがとう」

 気を使わせてしまったのが少しうしろめたいです。
 私、お姉ちゃんに迷惑かけてばっかりだ……。
 なにかしていないと落ち着かなくて、とりあえず電話の棚から熱帯魚用のえさを取り出しました。


18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:40:22.90 ID:op33K3/A0


 私たちはリビングの窓際に置いた金魚鉢でベタというお魚を飼っています。
 ゆれる水草と透明な水の中で、空をひとかけら持ってきたように青々とした尾ひれが揺れているのを見ると私もどこか涼しげな気分になります。

 このベタは半年ぐらい前、病院帰りにお姉ちゃんとお散歩に行ったついでにホームセンターのペットショップで見つけました。
 水槽の照明に照らし出されたベタはこのときものんびり泳いでいて、お姉ちゃんは一目惚れしてしまったみたいです。

唯『小さくてかわいくてやわらかそうで、なんだか守ってあげたくなっちゃうなあ…』

 その時、お姉ちゃんは私の手をつないだまま水槽を見つめて言っていました。
 あったかい手を握りしめながら耳元でつぶやかれたので、私に向けて言っているような気がしてちょっと顔が熱くなってしまいました。


22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:46:37.37 ID:op33K3/A0


 そうしてその場のお姉ちゃんの勢いに流されて買ってしまったベタですが、今も小さな金魚鉢のなかで気持ちよさそうに泳いでいます。
 名前はベタのたーくん。
 もちろん、名付け親はお姉ちゃんです。
 お姉ちゃんらしい、かわいい名前だと思いませんか?

憂「たーくん、お昼ごはんだよ」

 金魚鉢にえさを一粒落とすと、たーくんは振り向いてえさ粒をぱくっと食べました。
 振り向いたいきおいで水草の気泡がひとつふたつ浮かんで水面に消えました。
 日差しの向きが変わったからか、金魚鉢を通した半透明の影がゆらゆら揺れています。

 そういえば、朝起きたときにも私はえさをあげてしまいました。
 むかしグッピーを飼っていた和ちゃんに「えさのあげすぎは水質を悪くして、寿命を縮める」って言われたのを思い出します。

憂「……ごめんね、おなかいっぱいだったかな」

 なんとなく、不安を感じたりいたたまれなくなるたびにたーくんにえさをあげてる気がしました。
 とりあえず手のひらに残ったえさ粒をえさの缶に払い落としました。


唯「きゃっ」

 後ろでガラスの割れる音が聞こえました。


23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:52:59.86 ID:op33K3/A0


憂「お姉ちゃん大丈夫?!」

唯「ごめんね……コップ、割っちゃった」

 あわてて駆け寄ると床にはちらばったコップの破片。
 私はすぐお姉ちゃんの指先や手の甲や足首を見渡しました。
 よかった、ケガしてなかった。
 ほっと一息ついてから、お姉ちゃんに少し離れててもらって袋に大きめの破片を集めていきます。

唯「憂、ごめんね。私、なんにもできなくって」

 その場に立ちすくむお姉ちゃんが沈んだ声でつぶやきました。
 そんなことないよ。
 だって、お姉ちゃんは私のために――。

唯「あっ拾うの手伝うよ!」

憂「ううん、大丈夫。それより掃除機持ってきてくれるかな?」

唯「あ……うん、わかった」

 できることを見つけてうれしそうなお姉ちゃんは、ぱたぱたと足音を立てて飛び出していきました。


24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 06:59:16.24 ID:op33K3/A0


唯「ふぅ…これで大丈夫かな」

憂「ちゃんと掃除したし、大丈夫だよ」

 お姉ちゃんが掃除機で小さな破片を吸い取ったあと、私たちは台所の床の拭き掃除をしました。
 コップは割れてしまいましたが、おしまいには前よりも床がきれいになってうれしいです。
 これもたぶん、お姉ちゃんのおかげです。
 こんなこと言うと、また純ちゃんに叱られちゃいそうですけどね。

憂「床きれいになってよかったね」

唯「えへへ、まさしく七転び八起きだね!」

 お姉ちゃん、それはちょっと違うと思う……。


25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:05:41.62 ID:op33K3/A0


唯「あっそうそう、今日は和ちゃんがね、」

 そう言い掛けたとき、チャイムが鳴りました。
 インターホンをのぞき込むと荷物を手に持った和ちゃんがいます。

和『お米入ってるから早く開けてくれない?』

憂「うわさをすれば、って感じだね」

唯「もしかしてタイミング見計らってたとか?」

和『…何のタイミングだっていうのよ』

 二人でくすくす笑ってしまいます。
 重い荷物を抱えてる和ちゃんがかわいそうなので、掃除機の片づけをお姉ちゃんに任せて私は玄関に向かいました。


26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:12:00.99 ID:op33K3/A0


憂「和ちゃん、今日早いね。まだ十二時だよ?」

和「ほら、校内模試で半日なのよ……って、知らないわよね」

 制服姿の和ちゃんは牛乳やお米の入った大きなビニール袋を玄関横に置くと、そばに座り込みました。
 ドアの外では強い日差しが縁石を白く焼き尽くすほどに照っています。
 こんな日差しの中、お姉ちゃんが外に出たら大変なことになってしまいそうです。
 私はドアを閉め、それでも窓から差し込む日光から一歩足を引いて、ビニール袋を抱え上げました。

和「はぁ…この量はなかなか腰にくるわね。せっかくだからってさすがに買い込んじゃったかしら」

憂「なんか今の和ちゃん、おばあちゃんみたい」

和「買い出し班にひどいこと言うわね、あんた。ところで唯の調子はどう?」


唯「あ。和ちゃん!」


27: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:18:01.35 ID:op33K3/A0


 廊下の向こうから冷たい水のように澄んだ声が聞こえて、思わずほころんでしまいます。
 掃除機をしまったお姉ちゃんはそばに腰掛けている和ちゃんを後ろからスリーステップでいきおいよく抱きしめました。

和「ちょ――唯、危ないじゃない!」

唯「だって三日ぶりだよー?」

 少しふりほどこうとした和ちゃんも、あきれたように笑って抱きしめられました。
 ちょっとうらやましくなってしまいます。
 和ちゃんを抱きしめている、お姉ちゃんが。
 お姉ちゃんに抱きしめられる、和ちゃんも。

和「……憂も見てないでちょっとは止めなさいよ」

憂「えへへ、ごめんね」


29: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:19:51.34 ID:uHRxGFkoO

和ちゃんはやっぱり和ちゃんだな


30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:24:14.70 ID:op33K3/A0


 私たち三人はリビングで和ちゃんの持ってきたケーキを食べることにしました。
 お茶を入れている間、和ちゃんが担任の先生から預かってきた課題を取り出しました。
 厚くて大きなその問題集はどうやら百ページ近くあるらしく、お姉ちゃんはそれを見るなり力を失って椅子に倒れこんでしまいます。

唯「の、のどかちゃん…量多くなってない?!」

和「私が出したんじゃないわよ」

唯「でもこのワークブック一冊は多いよ! それにこの範囲わかんないもん! ぶーぶー!」

 お姉ちゃんはぱくぱく口を動かしたり数学の問題集を机にぱんと叩いたりして抗議します。
 なんだか水揚げされた魚のように見えて、ちょっとおかしかったです。

 めくれたページを見ると計算用の余白が多かったので、見た目ほど大変な量ではないみたいです。
 とはいえ、大きくて重たいこの問題集自体に最初からおそれをなしてしまうお姉ちゃんの気持ちも分かります。
 これじゃあ先が見えないもんね。

和「一ヶ月あるんだから余裕じゃない。たかが一日三ページちょっとでしょう。少しずつ進めていきなさいよ」

唯「あは、あはは…」

 お姉ちゃん、昔から夏休みの課題を始業式前夜に始めるタイプだもんね……。
 なんとなく一ヶ月後にあわてる姿が浮かんでしまって、思わず笑ってしまいます。

和「ほら、憂だって笑ってるわよ。ちょっとずつ解いてくしかないじゃない」

唯「ういーっ!」

憂「あはは、ごめんお姉ちゃん」


31: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:30:43.21 ID:op33K3/A0


和「あっそうそう、いいもの持ってきたわよ。最近、唯が元気ないって聞いてたから」

唯「えー? そんなことないよ、うい」

 お姉ちゃんはきょとんと小首をかしげます。

憂「うーん…ほら、朝だって」

唯「あれはなんでもないって。気にしすぎだよお」

 私は腕をゆすって困ったように笑うお姉ちゃんの声は、なぜか必要以上に強く聞こえました。
 お姉ちゃんは外が怖くて出られないけど、本当はいつもどおり元気一杯なんだ。
 そう思わせたがっているかのように。

 でも、朝に「引きこもりやめる」って――

憂「――あつっ」

唯「う、憂大丈夫?」

 唇を刺すような痛みが走ります。
 その場しのぎに口に含んだ紅茶が思ったより熱くて、思わずむせてしまいました。


32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:37:07.56 ID:op33K3/A0


和「まったくもう、唯だけじゃなくて憂までそんなんじゃどうするのよ」

憂「ご、ごめんなさい…」

唯「そうだよ、憂もしっかりしなくちゃねっ」

和「これ、突っ込むところ?」

 わざと胸を張って答えるお姉ちゃんにまた笑ってしまいます。
 考えすぎなのかな。やっぱ。
 考えすぎる頭をお姉ちゃんの優しさにあずけると、なんだかこのままでいいような気もしてきました。

唯「ほら、もうさめたよ?」

 お姉ちゃんは私のコップをひたひた触って温度を確かめてから渡してくれました。
 落ち着いて、やけどしないようにそっと息を吹きかけて、紅茶を口に含みます。
 少し冷めた、でもほんのり熱の灯った液体が身体の奥へと流れていきました。

和「もう一心同体ね」

 和ちゃんの笑い顔が、少し呆れているように見えて思わず目を背けてしまいます。


33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:43:20.09 ID:op33K3/A0


唯「それで和ちゃん、いいものって?」

和「ああ、これこれ」

 和ちゃんが取り出したのは貯金箱ほどの大きさのジャムびんでした。

和「ローヤルゼリー。滋養強壮にもいいらしいわよ、毎朝早起きして食べなさい」

唯「は、はあ……」

 お姉ちゃんはびんを受け取ったものの、どうしていいかわからないのか私に目を向けました。
 ときどき私も和ちゃんが分からなくなります……。

和「憂、あまりあげすぎないようにね。肝油ドロップのこと覚えてるでしょう?」

憂「う……うん、小三のときだよね」


34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:49:35.46 ID:op33K3/A0


 小学三年のとき、学校で肝油ドロップの販売業者が来ました。
 ビタミンCが含まれたサプリメントのようなもので、食べると夜盲症の予防や身体の成長に良いそうです。
 そのときお姉ちゃんはもの珍しがってとみおばあちゃんに頼んで注文し、届くやいなやすっかり肝油ドロップにはまってしまいました。
 たしか、おばあちゃんや私に隠れて一日十数個食べてお腹を痛くしちゃったんだっけ。

唯「あぁ…懐かしいね、あれ甘くてグミとハイチュウの間みたいでおいしいんだよね!」

和「買ってあげないわよ」

唯「まだなにも言ってないよ私?!」

 唯の考えてることぐらい分かるわよ。
 そう言う和ちゃんは呆れたように、でも優しくほほえんでいました。

憂「そうだよね。いくら身体のためだからって、甘くておいしいからって、たくさん食べ過ぎたら身体に毒だよ」

 すると和ちゃんは不意に顔を曇らせ、なにか私たちの向こう側を見やるような遠い目をして黙り込んでしまいました。

唯「……? どうしたの?」

和「いや……憂の言うとおりだなって」


35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 07:55:47.97 ID:op33K3/A0


憂「エサのやりすぎはよくない、ってこと?」

 和ちゃんはちょっと困ったような顔をして、金魚鉢の方をちらちらと見やりました。
 まるで何か代わりの言葉を探しているかのようでちょっと不自然です。
 私なんか変なこと言っちゃったのかな……。

和「私ほら、昔グッピー飼ってたじゃない」

唯「ああ、小二の時だよね!」

和「それであの時も私、エサあげすぎて逆にグッピーを病気にしちゃったことがあって……」

 だからそうやって手を掛けすぎるとダメになることもあるのよ。
 和ちゃんはその言葉を、なんだかお姉ちゃんの方に向けて言っているようでした。
 お姉ちゃんも何か言いたげな顔をしていますが……よくわかりません。

唯「うーん…たーくんはいっぱいエサもらえてうれしいと思うけどなぁ…」

和「唯じゃないんだから」


36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:01:51.49 ID:op33K3/A0


唯「ねぇねぇ和ちゃん、参考書いっしょにやろ?」

 ふいに顔を上げたお姉ちゃんが言いました。
 お姉ちゃんから参考書をやろうなんて、珍しいな。

和「えっ…うん、いいけど。じゃあ憂、後片付け頼むわね」

憂「うん。しばらくしたらおやつも持ってくね」

 あの時の感覚はよくわかりません。
 言葉に出せない何かがよどんだ水のように部屋の中を満たしている気がして、少し息苦しく思えました。

 それからお姉ちゃんたちは部屋で勉強することになり、私もお皿を洗い始めます。
 和ちゃんの言葉を聞いたせいか、心なしかベタのゆるやかな動きも弱ってきているように見えたのは、気のせいでしょうか。


38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:08:00.86 ID:op33K3/A0

――――――

和『……なに?』

唯『なにって、平方根とかよくわかんないから教えて?』

和『そうじゃないでしょ。何の話なのよ』

唯『……憂に変なこというのやめて』


和『それは、だって…唯も、このままじゃダメなの分かってるでしょう?』

唯『分かってるよ』

和『じゃあ少しでも良い方向に向かった方が――』

唯『分かってないのは和ちゃんの方じゃん』


39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:14:15.22 ID:op33K3/A0


和『……私も、悪かったわよ』

唯『もういい。早く帰って。チャットしたいから』

和『それを言うなら唯、あんただって――』

唯『憂は悪くない!』


唯『悪いのは、ごろごろして学校に行かない私なの』

和『ちょ、ちょっと唯』

唯『もういいじゃんそれで。私は一生家でごろごろしてニート暮らししてやるから』

和『……分かったわ。話はまた今度にしましょう』

唯『うん』

和『でもね』

唯『……なに』

和『あんたの憂に対する付き合い方も、褒められたものじゃないと思うんだけど』


42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:20:44.58 ID:op33K3/A0


唯『……だって憂のこと、本当に大好きなんだもん』

和『じゃあ憂のために前向きなことしなさいよ』

唯『してるよ!』

和『一日じゅう引きこもってネットするか寝てるかが、憂のためなの?』

唯『……和ちゃんは分かってるでしょ』

和『唯だって、いつまでもこんなことしてられる訳じゃないことぐらい分かるでしょう』

唯『もういい。この話終わりにしよ』

和『…………』

唯『私もう寝るから。おやすみ』


和『……憂のこと、ちゃんと考えてあげるのよ』

唯『うん。……ごめんね、和ちゃん。言い過ぎたよね』

和『いいわよ。私のせいでもあるし』


43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:26:25.23 ID:op33K3/A0

――――――

憂「あれ、和ちゃんもう帰るの?」

和「うん。唯、ひさしぶりに頭使って疲れちゃったみたいね」

 お皿を洗い終わってクッキーとレモンティーを持ってお姉ちゃんの部屋に向かうと、和ちゃんはもう帰り支度をはじめていました。
 部屋の中にはふくらむ布団の中に、寝ぐせが付いたままのお姉ちゃんの髪が見えます。
 和ちゃんは一度出した筆記用具をてきぱきとしまい、それから机の上の消しかすをさっとゴミ箱に落とします。
 その間、お姉ちゃんはずっとお布団の中でぼーっとしていました。

憂「お姉ちゃんの様子はどう?」

和「心配ないわ。またしばらく寝たら起きてくるはずよ」

 和ちゃんは優しそうに言うのですが、それに反して部屋の中はやけに空気が重く感じるのです。
 私は部屋に入って遮光カーテンを開けて外の風を入れました。
 まぶしがってお姉ちゃんは布団をかぶります。

和「じゃあ行くわね。唯、あんまり憂を心配させたらダメよ」

唯「……和ちゃんだって」

 お姉ちゃんの声は変にとげがあって、また少し息苦しさを覚えました。
 この部屋には酸素が足りない、なんとなくそう思えます。
 ……お姉ちゃんさえいれば、大丈夫なはずなのに。


44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:33:25.71 ID:op33K3/A0


 和ちゃんを見送ってからお姉ちゃんの部屋に戻りました。
 ですがお姉ちゃんはパソコンを始めたらしく、部屋に入ってきて欲しくないみたいです。

 リビングに戻り、一人分あまったクッキーとレモンティーをテーブルに置いてソファーに腰を下ろします。
 気づけばもう陽が傾き始め、オレンジの光が窓際の植物や金魚鉢の影を伸ばしています。
 しばらく網戸のままにしていたせいか、乾いてしまった部屋の空気がやけに冷たく感じました。
 私も昼過ぎのお姉ちゃんみたいにソファーに仰向けに寝転がって、床や天井をぼんやりと眺めてみました。

 和ちゃんは、本当はたぶん私たちの関係を快く思っていないのでしょう。
 それなのに私たちのお世話をしてもらって……迷惑をかけてばかりです。
 床に広がった半透明の影の中でもたーくんが不安げに揺れ動いているのが見えました。

憂「たーくん」

 なんとなく、影に向けて声を掛けてみます。
 なにを言おうとしたのかは自分でも分かりません。
 ですが、言葉は浮かび上がるのを待っていた気泡のようにするすると湧いてきました。

憂「……ごめんね、こんな狭いところに閉じ込めちゃって」

 ごめんなさい。
 本当に、ごめんなさい……。


47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:40:49.26 ID:op33K3/A0


 いつしか私は眠ってしまって、夢を見ていました。
 水の中をどこまでもどこまでも泳いでいくような、そんな夢を。

 青く深い海の中をどことも知れず泳いでいきます。
 はじめ誰かと泳ぎ始めたころは楽しかったですが、気づけば泳ぎ続けているのは私一人だけでした。
 身体が疲れて動かなくなっても、息が詰まっても、泳ぐのをやめられません。
 だって、泳ぐのをやめたら死んでしまうから。
 それに――ここを泳ぎきったら、とてもいいところにたどり着くのだと。
 誰かがそう言っていた記憶があるのです。
 早く無事にたどり着かなきゃ。そしたらみんな喜んでくれるはずなんだ。

 それなのに、私の身体は少しずつうまく動かせなくなってしまいます。
 うまく泳げなくなればなるほど身体に酸素が行きわたらなくて必死でもがきます。
 けれどもう光すら届かないほどの深みに来ていた私を、水圧がゆっくりと押し潰していきます。

 助けてよ。
 息が出来ないよ。
 もう、泳げないよ――。

 そんな時、唇から温かい息が流れ込んできました。


48: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:47:55.81 ID:op33K3/A0


唯「……えへへ。おはよう、うい」

 水中から浮かび上がるようにして目を覚ますと、ぼやけた視界の向こう岸にいたのは私の大好きな人でした。
 抱え上げるようにそっと腕を回したお姉ちゃんの背中に私もしがみ付くように抱きつきます。
 気づけばさっきまでの息苦しさが嘘のように薄れていました。
 あまりの安心感に、思わず目から涙があふれてしまいます。

唯「よしよし。いいこいいこ」

 お姉ちゃんはそれから何も言わず、抱きしめた私の頭をずっと撫でていてくれます。

憂「……あのね、こわい夢、みたの」

唯「そっかぁ。それはつらかったね……」

憂「うん……くるしくて、息ができなくなったの」

唯「でも大丈夫だよ、憂にはお姉ちゃんがいるからね」

 気休めだと誰かは言うでしょう。
 ともすれば気持ち悪いとさえ思われているかもしれません。
 だけど――何よりも、お姉ちゃんの言葉と温もりは私を守ってくれるんです。

憂「おねえちゃん……はなれないでね」

唯「うん。ずーっとそばにいるよ」

 ごめんなさい。
 でももう少しだけ、ここにいてもいいですよね?


49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 08:55:03.32 ID:op33K3/A0


憂「お姉ちゃん、今日はパソコンやらないの?」

唯「んー、チャットの人が来てなかったんだよねぇ」

 もう陽もすっかり沈んだ頃、夕食を作り始めました。
 いつもこの時間、お姉ちゃんは部屋でパソコンを使うか本を読むかして過ごしています。
 ですから食事を作っている時にお姉ちゃんがそばにいると、なんだかちょっと落ち着きません。

唯「あぁっ! おはぎ落としちゃったよう……うい、ティッシュどこぉ?」

 いろいろな意味で、落ち着けません……。


52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:02:08.69 ID:op33K3/A0


 私はウェットティッシュを持ってソファーのところに行き、一緒に床を掃除します。
 コップといい、おはぎといい、なんだか今日のお姉ちゃんは調子が悪いみたいです。
 最近、長い時間パソコンを使うのが多くなったからでしょうか。
 ……お姉ちゃん、ネットでどんなことしてるんだろう?

憂「ねえねえ、いつもチャットでどんな人と話してるの?」

唯「あー……えっとね、クリスティーナさんっていうんだけどね」

憂「ええっ、外国人の方なの?」

唯「ちがうよ、ハンドルネームだよ。ネットの中の名前」

 お姉ちゃんの話だと、ネットの中では身元がばれないように違う名前を使うのだそうです。
 ちなみにお姉ちゃんは「あいす」って名前でした。お姉ちゃんらしいなあ……。

唯「それでね、クリスティーナさん大学生で、バンドやってるんだって!」

憂「へえ……どんな音楽やってるの?」

唯「ええっと、なんだかいかつくて怖そうなやつ……」

 お姉ちゃんは頭の上に指で角を立てたり、手を怪獣のようにこわばらせたりしました。
 いったいどんなバンドなんだろう……。


55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:09:29.22 ID:op33K3/A0


 床をきれいにした後、お姉ちゃんとおしゃべりしながら夕食を作って一緒に食べました。

唯「あれ? なんかこの煮物あまい!」

憂「和ちゃんからもらったハチミツを入れてみたの。どうかなあ?」

唯「おいしいよ、憂はやっぱ天才だね!」

 工夫した料理を作ったとき、お姉ちゃんがそう言ってくれるのはうれしいです。
 ですがお姉ちゃんのおいしそうに食べる様子は言葉以上にうれしくて、なんだか心があたたまるようです。

憂「でもローヤルゼリーだと思って見てみたら普通のハチミツでびっくりしたなあ…」

唯「その二つって違うの?」

憂「ローヤルゼリーは錠剤か粉末だよ。でも……こんなに高いものもらっちゃっていいのかなあ?」

唯「あっそれは大丈夫だって和ちゃん言ってたよ!」

 和ちゃん甘すぎるのは苦手なんだって。
 栄養があって成長に必要なのはわかるけど、甘すぎて体悪くしそうで……みたいに言ってたよ。
 そう、お姉ちゃんは無邪気な笑顔で教えてくれます。

憂「甘すぎると、からだが悪くなるのかなあ……」

唯「……うい?」

憂「あっごめん、なんでもないよ」


56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:16:44.72 ID:op33K3/A0


 甘すぎると、身体に良くない。
 食べ終わった食器を洗いながら、なぜかその言葉が頭をぐるぐると回っていました。
 ハチミツだけでなく糖分は成長に必要ですし、なかったら頭が働かなくなります。
 けれど……肝油ドロップのようにそればかり食べ過ぎてしまったら、いずれお腹を壊してしまうでしょう。

唯「ういどうしたの?」

憂「えっ…なんでもないよ。お姉ちゃん、お風呂沸かしてくれる?」

唯「……うん、わかった。一緒に入ろうね!」

 何か言おうとして押し留めたのか、その声はわざと明るくしたように聞こえました。
 嘘が下手なお姉ちゃんはいとおしいけれど、時々どうすることもできずに苦しくなるのです。


59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:24:08.10 ID:op33K3/A0


憂「そうだね……うん」

 なんとなく答えてしまいますが、こうしていていいのかも分からなくなってきました。
 和ちゃんはたぶん気づいてるんだと思います。
 だから「そういうこと」を続けるのはお姉ちゃんのためにならない。
 今日の和ちゃんは私たちにそれを伝えたかったのでしょうか。

 お姉ちゃんが引きこもりになってからの半年。
 それは私にとってもかつてないほど、どうしようもなく甘い一時でした。
 ……いや、ダメだ。
 これはお姉ちゃんの回復のためなんだ。
 私は理性を働かせようと、お風呂場の方に声を投げかけました。


憂「お姉ちゃんごめんね、今日は一人で入る」


60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:31:30.34 ID:op33K3/A0


 しばらくして、お姉ちゃんがお風呂から上がった後に一人で湯船につかりました。
 ここ最近、お姉ちゃんとお風呂に入ることが多かったので一人でこうするのは久しぶりです。
 うなじに胸元、二の腕を通って指先を一本一本洗い流す――自然とお姉ちゃんが洗うようにしてしまいます。
 けれど、いつもと違って背中から伝わる熱はありません。
 意識するとよけいに一人に思えてきてしまうので、シャワーの蛇口を力をこめてひねりました。

 目をつむった中で温水に打たれながら、難しい考えを一度洗い流してしまおうとします。
 ですが水に当たっているとさっきの夢を思い出してしまって、思わずシャワーを止めました。

 ……誰もいません。
 水音が消えたお風呂場は、やけに静かに思えました。
 なにかで埋めなければ耐えられなくなるほどに。


61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:38:58.80 ID:op33K3/A0


 頭と身体を自分の手で一通り洗い流してから、ゆっくりとお湯につかります。
 温かい水が身体中に沁み込んで全身を暖めてくれます。
 ですが浴槽の反対側に手を伸ばすとあるはずのやわらかい肌は、今日はありません。

 なんとなく目をきゅっとつむって、広くはない湯船の中に頭を沈めてみます。
 そうしたら自分が狭い金魚鉢の中のたーくんになったように思えて少し楽しくなりました。
 一人では広く感じる浴槽の中で、さっき見た夢のように自由に泳ぐ姿を想像してみます。
 どこまでもどこまでも深く。暗い海の向こう側へ。

  『海の向こう側には、幸せが待っている。』

 顔の分からない優しそうな人たちが口々にそんな言葉をかけるイメージが頭をよぎります。
 とみおばあちゃんや和ちゃんも手を叩いて応援してくれている気がして、深く深く潜っていくのです。
 けれどそのイメージの中ではいつまで経ってもお姉ちゃんの声が聞こえませんでした。


62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:46:02.20 ID:op33K3/A0


憂「――ふぅっ」

 声が聞きたくなってしまって水の中から顔を上げます。
 浴室の照明に目が慣れず、まばゆさにくらくらしてしまいました。
 私はどのくらい浴槽に沈んでいたのでしょうか。

 水から顔を上げると急に狭い世界に閉じ込められたように感じます。
 けれども程よく狭い水の中はかえって居心地がよく、泳ぐ気も薄れてしまいます。
 たーくんのような魚が捕まえられて飼育されるときも、こんな感覚なのかもしれません。

憂「……お姉ちゃん」

 ダメだ。
 やだよ、ひとりでなんていられないよ。
 お姉ちゃん、なんでお風呂にいないの?
 身体の奥に空けられた穴が心を乾かしていくようで、息が詰まります。
 その穴はたぶんお姉ちゃんの腕の中でしか埋められないものなのです。

 どうしてこんな風になってしまったんだろう。
 甘い日々に我をうしなって、すでに身体のどこかが壊れてしまったからなのかな。
 ……いや、私に限ってはもっと前から壊れていたのかもしれないけれど。

 お風呂を出た私はその晩、結局お姉ちゃんの部屋に行ってしまいました。
 みなさん、本当にごめんなさい。


63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 09:53:11.71 ID:op33K3/A0


 夜遅くに目が覚めるとお姉ちゃんのやわらかい腕に抱かれていて、それだけでずいぶん満たされるものです。
 重ねた肌と、溶け合わせた汗。眠りに落ちる前に繋いだ手は、今日はまだほどけずにいてくれました。

 お姉ちゃんはすっかり眠ってしまって、はだけた布団を掛けなおそうともしません。
 その呼吸に合わせて上下するやわらかい胸にゆっくりと頭を乗せて、心臓の音を聞いてみたりします。
 胸の奥から響く一定のリズムは私の頭をなでる時のように優しくて、空いた方の腕でもう一度お姉ちゃんを抱きしめました。

憂「お姉ちゃん……あいしてる」

 身体を少し起こして、目を覚まさないようにゆっくりとキスしました。
 暗い部屋で目を閉じると唇の感触がいっそう強く響くようで、もっともっとお姉ちゃんを求めたくなってしまいます。
 そしてその度に自分がとても気持ち悪いものに思えて耐えられなくなるのです。


64: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:00:38.21 ID:op33K3/A0


 身体を重ねるようになったのは、お姉ちゃんが不登校になった辺りからです。
 あの頃はおたがいにどうしていいか分からず、ただ抱きしめなきゃいけない気がして、気づくとここまで来てしまいました。

 求められたくて、お姉ちゃんそのものが欲しくて、すがるようにそうしてきました。
 お姉ちゃんも私のバラバラになりそうな心や身体の輪郭をなぞるように、崩れそうな私を集めて守るようにして抱いてくれました。
 それはセックスの時だけではなく、例えば一緒にお風呂に入る時だって同じです。
 お姉ちゃんは丁寧に――変な言い方ですが、溶け崩れていく私を身体に集めてしまいこむようかのように――指先から爪先まで洗ってくれるんです。

 昔から好きだった人にそんな風にされたらもっと好きになっちゃいますよ。
 愛してはいけない人でも、愛してしまいますよ。
 もう一秒たりともお姉ちゃんから離れたくない自分もここにはいます。
 だから、ときどき思ってはいけないことまで考えてしまうんです。

 たとえば、お姉ちゃんがずっとひきこもりでいてほしい、なんて。


66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:07:38.73 ID:op33K3/A0


憂「……最低だよ、私。しんじゃえばいいのにな」

 自分を傷つけるナイフのような言葉を、わざと口に出してみました。
 なにか罰を受けたくなったのです。
 今もお姉ちゃんを抱きしめている自分が、どうしようもなく思えて。

 セックスはすばらしいものだと言う人がいます。
 だけど私はうまくそう思えません。
 今さら「女の子同士だから」とか「姉妹だから」なんて考え直せるほど私は強い人間じゃないです。
 でも、だからって全てを肯定する勇気もありません。

 甘い蜜のような快楽は一瞬だけすべてを忘れさせてくれます。
 けれども理性を溶かすような快楽が終わって、祭りの後のように一人目覚めたとき。
 逃げていた現実に急に引き戻され、打ち揚げられた魚みたいに呼吸の仕方すら分からなくなるんです。

 私は、せっくすがきらいです。
 すきだけど、やっぱりきらいなんです。
 矛盾してますよね。身体がバラバラになりそうなぐらいに。


67: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:15:01.25 ID:op33K3/A0


 布団の奥で足を絡ませながら、お姉ちゃんの心音をずっと聞いていました。
 肌の感触と体温とが私を安心させてくれるけれど、同時にお姉ちゃんを閉じ込めているようにも感じます。

 息苦しさを感じると空を見上げたくなるものですよね。
 お姉ちゃんから見せてもらった不登校の方のブログに空の写真が多いのもそういう理由かもしれません。
 たとえ狭いディスプレイの中の空の画像でさえも、水草から浮かぶ気泡のように意識をゆらゆらと浮かばせられる気はするのでしょう。

 お姉ちゃんにしがみ付くように肌を重ねたまま、窓の外の空に目を向けました。
 今夜は満月のようです。薄い雲ににじんだ月明かりが、雲の動きによって揺れ動いて見えます。

 もし、あの窓ガラスが私たちを外とを隔てた壁だとすれば。
 私たちもたーくんと一緒で、この家という小さな金魚鉢に閉じ込められているのかもしれません。
 そうして私たちは外での泳ぎ方を忘れて、ここで息絶えてしまうのでしょうか。

 閉塞感の心地よさが怖くて、私はその夜うまく寝付くことが出来ませんでした。
 ぼんやりと眺めた窓ガラスの向こう側。
 月明かりは雲の波間に浮かんで、いつまでも揺れていたのでした。


68: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:22:12.75 ID:op33K3/A0


  ◆  ◆  ◆

憂「・・・・・ごめんね。変な話、聞かせちゃって」

梓「いいよ、私と憂の仲じゃん。それに唯先輩は私にとっても大事な人だし」

憂「ありがとう。じゃあ、続き話してもいい?」

梓「うん。……憂は大丈夫?」

憂「へいきだよ。ありがと、梓ちゃん。……それでね、」


70: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:29:41.05 ID:op33K3/A0


  ◆  ◆  ◆

 うなされる時はいつだって溺れる夢を見ます。
 今朝もそうでした。

 教室。解答用紙。席に着いた生徒の群れ。
 今はもう懐かしくも思える休み時間の騒ぎ声が蝉のように遠く近く響いています。
 次の瞬間――木製の机と椅子と床が砂のように崩れて足下の濁流に飲みこまれ、手も足も出せずに沈んでいきます。
 ずぶずぶずぶと身体が水中に飲み込まれていき、気づくと私は海の中に漂っていました。

 生徒たちはいつしか深海魚へと姿を変え、もう名前も思い出せないほどです。
 尾びれが肥大化したり、何か触覚のようなものが生えたりして畸形化したクラスメイトたち。
 どうやら私もその気になれば魚の姿に変われるみたいですが、周りの深海魚を見ているとどうにもそういう気になれません。
 ですが……背中が急速に、あたかも氷で焼かれるように冷たくなっていきます。


72: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:37:09.59 ID:op33K3/A0


 息が出来ません。
 吸い込めば吸い込むほど酸素が逃げていき、苦い味の海水が喉の奥へと押し込まれていきます。
 助けて、苦しいよ。
 水の中でもがく制服姿の私を、深海魚たちは遠めで不思議そうに眺め、時々笑っています。
 なんだか私も人間のままでいるとこのまま溺れ死んでしまいそうです。
 あきらめて指先に力を込めてヒレに変えようとしたとき、どこか遠くからやわらかいまなざしを感じました。

 ――無理しなくていいんだよ。

 その声は水の中を伝って私に届いたかと思うとすぐ途切れてしまいました。
 ですがその声は水中に伝わる深海魚たちの発する音とは違って、私を優しく包み込むように響いたのです。
 もっと、あの声が聞きたい。
 こっちに来てよ。
 離れないで。
 助けて。

 水の中でぶざまに手足を動かしていると、やがて射した光が辺りを飲み込んでいきました。


73: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:44:35.15 ID:op33K3/A0


憂「……はあっ、はぁ…………ん」

 体温と感触と熱のこもったタオルケット。
 落ちるように目を覚ますといつものお姉ちゃんの部屋でした。
 なんだか背中が冷たいです。
 寝ている間に掛け布団がはだけてしまったのでしょうか。
 自分の息づかいがうるさいです。
 また変な夢でも見てしまったのでしょうか。

憂「……お姉ちゃん、おはよう」

 声をかけて、抱きしめます。
 かけがえのない存在を確かめるように、身体をくっつけて抱きしめます。
 お姉ちゃんはまだ夢の中で、ときどき寄せては返す静かな波のようにかすかな笑みを浮かべます。
 私のようにうなされてなければいいけれど。


75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:51:53.49 ID:op33K3/A0


 私は眠っているお姉ちゃんを起こさないように気をつけてベッドから降りると布団の中に押し込んだ下着をつけ、自分の部屋に戻りました。
 二人きりの家とはいえ、無防備な姿で歩くのにはさすがに抵抗があります。
 お姉ちゃんはときどき、バスタオル一枚でお風呂から部屋に戻ってそのまま寝てしまうこともありますけどね。

 それにしても今日はずいぶん寒い日です。
 灰色の雲が空を覆いつくしてるせいでもあるのでしょう。
 九月に入っても続いていたはずの生ぬるい天気から急に冷え込んだらしく、ちょっと喉の調子もよくないです。
 私は服を着替えるとお姉ちゃんの部屋に戻って、タオルケットの上に掛け布団を敷きなおしてリビングに向かいました。
 ……お姉ちゃん、身体冷やしてなければいいけど。


76: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 10:59:02.92 ID:op33K3/A0


 それから私はリビングに着いて顔を洗い、朝ごはんの前にたーくんにエサをあげようとしました。
 ですが、なんだかたーくんの様子がおかしいです。

憂「あれ。なんか、ぜんぜん動かないよ…」

 たーくんは私がエサをあげようとしても少しも動かず、じっとしています。
 いつもは金魚鉢を指でかるくつついてみるとすぐにたーくんは反応するのに。
 もしかして、病気になっちゃったのかな。

憂「エサ、あげすぎちゃったからかな…」

 どうしよう。
 私が世話しすぎたせいで、苦しめてしまったのかも。
 エサの缶を握ったままどうしていいか分からず動けずにいる私の顔が、金魚鉢にゆがんで映ります。

憂「とりあえず、水の中の掃除しよう……うん、汚れとかあるかもしれないよね」

 自分に「なにごともない」と言い聞かせようとひとりごとを口に出すのに、かえって不安が頭に響くばかりでした。


79: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 11:06:03.45 ID:op33K3/A0


唯「ういー、おはよ」

 急に声がしてびっくりして、思わずスポイトを取り落としそうになります。
 振り返ると髪のハネたお姉ちゃんが眠そうな目をこすりながら立っていました。
 さっき着替えたばかりなのか、パジャマのボタンが途中から一個ずつ掛け違えているのにも気づいていません。

唯「うい、どしたの?」

 お姉ちゃんは何かに気づいたようにほんの少し目を見開いてこちらを見ます。
 まだ何も言ってないのに。
 やっぱり、かなわないです。

憂「たーくんが…朝起きたらね、たーくんの具合がわるくなってて」

唯「ええっ」


80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 11:13:24.83 ID:op33K3/A0


 大げさに驚く声をあげたお姉ちゃんは金魚鉢に駆け寄ります。
 そしてしばらくの間、弱っているたーくんをじっと見つめていました。

唯「……死んでないよね?」

憂「うん、大丈夫だと思うけど」

 狭い水の中で弱ったたーくんの姿に、半透明に歪んで映る私たちの顔が重なります。
 錯覚なのか、自分がたーくんを閉じこめいたぶっているような気がしました。
 見ないようにしてその場を離れるため、引き出しにエサをしまいに行きます。
 するとお姉ちゃんが私の方を向いて真剣な顔つきで訊ねました。

唯「ねぇ、たーくんって……もしかして食べすぎ?」

 なんだかミスマッチな気がして、思わず吹き出してしまいました。


82: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 11:22:49.61 ID:op33K3/A0


唯「ちょ――ういー、わたし本気で…」

憂「そういうお姉ちゃんだって、ちょっと笑ってるじゃん」

 二人でつられあって笑ってしまいます。
 なんだか、それほど心配するようなことじゃないようにも思えました。
 お姉ちゃんはこうやって、いつも自然と私の心を軽くしてくれます。

 それからお姉ちゃんはシャワーを浴びに行き、私は金魚鉢のなかのごみをスポイトで吸い取るのを再開しました。
 ベタはカルキが抜かれて酸素がほどよく入った水でないと弱ってしまうので、あまり水を入れ替えるわけには行かないのです。
 たーくんは弱っているようですが、ときどきひれを少し動かしては部屋の照明の方へ向き直ったりしています。
 お姉ちゃんをあまり心配させたくなかったのですが……やっぱり、不安は消えません。


83: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 11:30:54.98 ID:op33K3/A0


 金魚鉢のゴミ掃除を終えてから、私は前に和ちゃんからもらった熱帯魚用の薬を数滴垂らしました。
 薬浴といって、薬の入った水に浸かることでたーくんの具合がよくなると聞いています。

 私はまたソファーに身体を預け、ぼんやりと金魚鉢や窓の外を見ていました。
 窓の向こうの曇り空はにごった水槽のようで、リビングの生ぬるくていけない空気も実は心地よかったです。
 ときどき家の外を通る車の音が小さな気泡がはじけるように遠く聞こえて、すぐ前の道路ですら遠い世界のように思えます。

 窓を開けなきゃ。
 換気をしなくちゃ。
 そうは思うのですが……なんとなく、このままでもいい気もしてしまって、ソファーに寝そべってしまうのです。

 そういえば。
 ここ最近は金魚鉢の水を替えていませんでした。
 あまりに何度もきれいな水に替えてしまうとかえって住み心地が悪くなって弱ってしまう。
 和ちゃんはそう言うので抵抗はあるのですが、さすがにそろそろ替えなければいけない時期かもしれません。


85: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 11:39:17.52 ID:op33K3/A0


唯「おばあちゃん来た?」

 気づくと、髪を濡らしたお姉ちゃんがそこにいました。
 茶色がかったきれいな髪の毛は色鮮やかな魚のひれのようで、もう少しだけ濡れた髪を見ていたい、そう思ってしまいます。

憂「あ……まだだよ。九時だし、そろそろだと思うけど」

唯「ふぅん。ういもシャワー浴びる?」

憂「んー…そうだね。寝汗かいちゃったし」

唯「さくばんはおたのしみでしたねぇ」

憂「……お姉ちゃんが言わないでよ、はずかしいよ」

 にやにや笑うお姉ちゃんから逃げるように私はリビングを出て、自分の部屋に着替えを取りに行きました。


87: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 11:47:28.93 ID:op33K3/A0


 シャワーをあびて髪を乾かし終わった頃、電話が鳴りました。
 お姉ちゃんは自分の部屋にいるみたいなので、ドライヤーを置いて一呼吸おいてから受話器を取ります。

憂「はい。平沢です」

とみ『ああ憂ちゃん、おはようさん』

憂「なんだぁ、おばあちゃんだったんだ…びっくりしちゃったよ」

とみ『そうかい? それはすまなかったねぇ』

憂「ううん、だいじょうぶ。でもおばあちゃん、いきなり電話かけてどうしたの?」

とみ『それがねぇ…リウマチの病院行かなきゃならないの、てっきり忘れちゃってね』

 年取ると物忘れが激しくていやだねえ、そう言っておばあちゃんは笑います。


88: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 11:55:46.36 ID:op33K3/A0


憂「そうなんだ…腰の具合はどう?」

とみ『だいぶよくなったと思ったんだけどね……やっぱり無理はよくないねぇ』

憂「ごめんねおばあちゃん、無理はしないでね?」

とみ『いいのよ。憂ちゃんも唯ちゃんも私の孫みたいなものだから』

憂「………うん」

 孫、という言葉を聞いてお父さんたちのことを思い出してしまいました。
 最近は電話もめっきり減って、ずいぶん忙しくしているみたいです。

とみ『お父さんお母さんがいなくて、さみしかったりしないかい?』

 私の気持ちを分かってくれたのでしょうか、おばあちゃんは優しく聞いてくれます。
 心からいたわるような声でそう尋ねてくれるので、かえって申し訳なく感じてしまいました。

 わたしは、おねえちゃんさえいればいい。
 ……両親の不在がそれほど気にならなくなっている私は、たぶん悪い子です。

とみ『ほんと、年頃の娘をほっぽらかしてなにやってるのかねぇ、平沢さんとこのだんなは…』

 受話器の向こうでなげく声にどうしようもなくとがめられてる気がして、ごめんなさい、と一言つぶやきました。
 ごめんなさい、本当にごめんなさい。
 ……ときどき私はおまじないのように、無意識につぶやいてしまうのです。


91: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 12:04:12.88 ID:op33K3/A0


とみ『憂ちゃんが謝ることないじゃないの』

憂「でも、お姉ちゃんがこうなったのだって……」

とみ『いいのよ。人生八十年、まだまだ長いんだから疲れた時はゆっくり休むのが一番じゃない』

 憂ちゃんは小さい頃から頑張り屋さんだったものね。
 とみおばあちゃんの気遣いは冷たい水のように心地よくて、それがかえって痛ましく感じるのです。
 言葉が心のどこかに開いた傷口に、間に合わせで固めたかさぶたを溶かすように染み込むんです。

とみ『元気になったら、二人で手をつないで外にでも行きなさいね』

憂「うん。私もお姉ちゃんとお散歩できたら……いい、かな」

とみ『そうよ。お天道様も照っていて、気持ちいいわよ。今日は曇っちゃってるけれどね、ふふふ』

憂「……うん、ありがとう」

 私は電話を切った後、開けていたカーテンを閉めました。
 陽の光が、窓の外から注ぎ込まれる熱が、ちょっとだけ怖かったのです。


94: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 12:12:21.33 ID:op33K3/A0


唯「おばあちゃん、なんだってー?」

憂「……あ、うん。なんでもないよ」

唯「え…?」

 いつの間にかリビングに降りてきていたお姉ちゃんが、いぶかしむような表情で立っていました。

憂「あー…うん、ええっとね、おばあちゃんが来ないんだって」

唯「どして?」

憂「なんかね、リウマチの病院いかなきゃいけなくて……そうそう、お散歩がいい…って、ううん、なんでもない」

 とっさにわけが分からなくなって、つながらない言葉をやみくもに並べてしまいました。
 急に頭の中にいろいろなものがあふれてきて、息がうまくできません。


96: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 12:20:45.73 ID:op33K3/A0


憂「――けほっ、こほっ」

唯「わわ、大丈夫?」

憂「……う、うん…水、あるかな」

 お姉ちゃんはすぐキッチンへと走り、コップに水を入れて戻ってきました。
 そして床に少しこぼれて広がった水滴に気づきもせずに、相変わらずせき込む私の背中をさすります。

唯「だいじょうぶ? 紙袋、いる?」

憂「ううん、落ち着いてきたから大丈夫……ごめんなさい」

唯「……憂は悪くないよ」

 背中をあたためていた手が離れると、すぐにその腕は私の身体ごと抱きしめました。


98: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 12:29:06.10 ID:op33K3/A0


 肩にそっと頭を乗せて、頬を近づけるようにしてお姉ちゃんはささやきます。

唯「……あのね、私が全部悪いの。学校行けなくなっちゃったのも、私が引きこもりだから」

憂「……うん」

 『そんなことないよ。だって――』

 そんな言葉が頭に浮かんで、けれどお姉ちゃんの柔らかい腕がそれをかき消しました。
 このまま抱きしめられていてはいけない。
 けれど、そう思うこともお姉ちゃんを裏切る気がして、なにもかもが壊れてしまいそうで。

唯「……ごめんね、だめなお姉ちゃんで」

憂「……ううん、そんなことないよ。一緒にお姉ちゃんの引きこもりを治していこうね」

 怖かったんです。
 プールの中みたいに居心地のいいこの場所が、ガラスのように割れて壊れてしまうことが。

 もっとも、ずいぶん前に壊れてしまっているのかもしれないのですけど。


99: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 12:35:53.85 ID:op33K3/A0


 落ち着くと私たちはいつもどおりの生活に戻しました。
 お姉ちゃんは自分の部屋で数学の問題集を進めて、私は洗濯機を動かしてから部屋の掃除を始めます。

 本当は掃除なんていらないほどきれいなリビングの床に掃除機をかけ、ほこりの溜まりそうな所を濡れ雑巾で拭きます。
 あまり掃除をし過ぎてしまうと居心地が悪くなってしまいそうですが、日課なので欠かすことはできません。

 昨日お姉ちゃんがコップを割ってしまった床を特に念入りに磨き上げ、ほかの床よりもきれいにできたところでようやく一休みです。
 お姉ちゃんも和ちゃんに言われて勉強がんばってるみたいだし、クッキーでも作ってあげようかな。
 小麦粉、まだ残ってたかな……。

 と、そのとき電話がかかってきました。

憂「はい、平沢です――」

純『やっほー。憂、元気してた?』


100: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 12:38:12.79 ID:op33K3/A0

すみませんがちょっと離席します
14時までには再開いたします


118: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 13:57:50.81 ID:op33K3/A0


 声の主は同じ中学に通っていた純ちゃんでした。
 最近は電話も少なくなっていたので、前に話したときから一ヶ月ぐらい経っているかもしれません。

憂「純ちゃん久しぶりだね。でもどうしたの? 今日って学校じゃ…」

純『まぁね。行く気しないからさぼっちゃった!』

 えっ、それってどうなんだろう……。
 私たちもぜんぜん人のこと言えないですけれど。

純『あ、いやじょーだんだって。ほら、創立記念日。国民の祝日だよ!』

憂「国民のではないよ、純ちゃん」

純『まあいいじゃん別に。ところで暇だから遊び行ってもいい?』

憂「えっ……うん、別にいいけど」

 なんとなく喉が渇くような気がして、先ほどせき込んだ喉の皮膚がかすかに痛むのに気づきました。


121: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 14:06:18.15 ID:op33K3/A0


 純ちゃんとは小学校の時に通っていた塾で知り合いました。
 はじめて会ったときは、私にとってちょっと苦手なタイプだと思っていました。
 けれども話してみるととても人なつっこくて、すぐに私たちは打ち解けたんです。

 そのころ通っていた塾で私は特別進学クラスに入っていたので、帰りがいつも夜の十時近くになっていました。
 お姉ちゃんも同じ塾に通っていて、中学に入るまでは純ちゃんと三人で一緒に帰っていたのを思い出します。

純『……うい? 聞いてる?』

憂「あ、うん。ごめん」


123: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 14:14:27.53 ID:op33K3/A0


純『はぁ……憂がしっかりしないと平沢家ヤバいんだからさ、がんばんなよ?』

憂「……うん、ありがと」

 がんばれ、という言葉は重たくて昔は苦手でした。
 けれども最近はそうでもないみたいです。
 必要としてくれることが実感できて、ここにいてもいいんだって気がして。

純『あっそうそう! 憂、和さんから宿題もらってたっけ?』

憂「うん、昨日お姉ちゃんの分と一緒に」

純『……悪いんだけどぉ』

 なんだかちょっと吹き出してしまいます。
 宿題を見せてあげたり、教えてあげたりしていたのは塾のころからずっと変わってなくて。


125: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 14:22:42.93 ID:op33K3/A0


純『笑わないでよー、私は憂と違って飲み込み遅いんだから』

憂「ごめんね、そういう意味じゃないよ。なんか……昔みたいだなって」

純『昔ねぇ……まぁいいや。じゃあ四時ごろ行くね』

 そのとき、ふいに純ちゃんが何か言いよどんだように感じました。
 私は一瞬問いかけようとしたんですが――結局、聞かずじまいでした。

憂「…うん、四時だよね。クッキーでも作って待ってるよ」

純『おおー神じゃん! じゃあ、おなかすかしとくからねー』

 弾んだ声で約束を決めて、電話が切れました。
 純ちゃんとは久しぶりに会うのでわくわくするはずですがが……なぜかそのとき、心にひっかかるものを覚えたのです。
 どうも無理しておどけた声を出していたような気がして。
 被害妄想だとは、思うのですが。


126: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 14:30:52.31 ID:op33K3/A0


 それから私はチョコクッキーを焼き、シナモンティーの準備をして待っていました。
 お姉ちゃんもクッキーの焼ける香りにひかれてリビングに降りてきたので、ちょっとだけ味見をしてもらいました。

唯「うん、今日のとびっきりおいしいよ!」

 お姉ちゃんはそう言って、おどろいたような笑顔を見せてくれました。
 味見してもらったのは久しぶりに純ちゃんと会うのでおいしくできたか気になっていたのもあります。
 けれどやっぱり、できたクッキーをお姉ちゃんに真っ先に食べてほしかったのです。

唯「昨日のシフォンケーキもおいしかったけど、やっぱり憂の作るのが一番好きだよ!」

 あめ玉のように響くお姉ちゃんのうれしそうな声に、私は思わず抱きしめたくなってしまいました。


127: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 14:38:56.69 ID:op33K3/A0


 純ちゃんがうちに来たのは四時半すぎでした。

純「ごめんごめん! 道混んでてさぁ」

憂「えっ、行く途中に近くで事故でもあったの?」

純「う……いや、そういう訳じゃなくてさぁ…」

 私が尋ねると、純ちゃんは困ったように目をそらします。
 何か聞いちゃいけないことでも聞いちゃったのかな……。

純「いや、あのね? 道混んでたとかって、単に寝坊したとかの言い訳で使わない?」

憂「うーん…寝坊したことがそんなにないから分からないよ」

 純ちゃんは大きくため息をつくと、やけになったみたいに少し大きめの声で言います。

純「ごめんなさい、お昼寝してたら寝坊しました!」

 あ、寝坊だったんだ……。


128: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 14:47:05.07 ID:op33K3/A0


憂「あはは、純ちゃんらしいね」

純「なんか平沢姉妹と話してると自分が申し訳なく思えてくるんだけど…」

憂「え、どうして?」

純「いや、そのー…いい子だなって」

 私には純ちゃんがなにを言おうとしているのか、いまひとつ分かりませんでした。
 けれどもリビングから広がるクッキーのにおいに気づくと、純ちゃんは子犬のように「早く食べよ!」と私をせかします。


130: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 14:55:29.35 ID:op33K3/A0


憂「……なんだか、変わんないね」

純「それどういう意味さっ」

 頬を膨らませてむくれる純ちゃんに謝ってから、わたしはシナモンティーをいれにキッチンに行きました。
 純ちゃんと久しぶりに話して、会うときまで胸につかえていたものが少し溶けた気がしました。

純「ほら、早く食べよっ」

憂「もう……食べたらちゃんと数学もやるんだよ?」

純「はいはい」

 小学校の塾の時も、私の作ったお弁当を食べながらこんな感じでおしゃべりしたんだっけ……。
 ちょっと懐かしい気持ちになりました。


131: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 15:03:56.76 ID:op33K3/A0


唯「あー純ちゃん、久しぶり!」

純「わわ……唯さん、ハグ激しいですよっ」

 お姉ちゃんは純ちゃんに気づくと、昨日の和ちゃんの時みたいに強く抱きしめます。
 ふいに抱きしめられてはじめびっくりしていた純ちゃんの顔もとまどいからあきらめへと変わります。
 そうしていつしかやわらかな、ほっこりしたような顔を浮かべていました。
 私の大好きな、お姉ちゃんの腕の魔法です。

純「唯さん、相変わらずっすねー…」

唯「えへへ、久しぶりだとこうしたくなっちゃうんだよねえ」

 考えてみるとお姉ちゃんは外から誰かが来るたびに抱きしめていました。
 お姉ちゃんだって病気が治ったら外に早く出たいんだと思います。

憂「……お姉ちゃん。クッキー、食べようよ?」

唯「あっごめん、じゃあおやつにしよっか!」

 一瞬だけ胸の奥が曇ったような気がして、そんな自分がいやになりました。
 なに考えてるんだろう、私。


132: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 15:12:00.93 ID:op33K3/A0


 純ちゃんはリビングに着くとすぐにソファーに寝ころがってお菓子をねだりました。

純「ういー、くっきー」

憂「ふふ、なんだかお姉ちゃんみたいだね」

唯「だって憂の料理おいしいんだもん、しょうがないよ」

純「んっとにラブラブだよね、平沢姉妹……」

 クッションを抱きしめて足をぱたぱたさせている純ちゃんがちょっとあきれたように言いました。
 さっき心の奥で溶かしたはずの良くないものがまた固まるような気がして、私はあわててクッキーを取りに行きます。


133: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 15:22:21.29 ID:op33K3/A0


 シナモンティーを入れてリビングに戻ると、純ちゃんが金魚鉢をのぞき込んでいました。

純「ねぇ……このベタ、なんか弱ってない?」

憂「あ、うん……。今朝からなんか様子がおかしいの」

唯「今日はくもりだし、たーくんも元気じゃないんだよ」

 純ちゃんと入れ替わりにソファーに寝ころがったお姉ちゃんが、仰向けになって言います。
 決して忘れていたわけではないけれど、たーくんのことを思い出して喉の痛みがぶり返すように胸の奥で何かが黒く広がるのを感じました。

純「あのさ、憂」

憂「な、なにかな…?」

純「これ、そろそろ水入れ替えた方がよくない?」


134: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 15:32:37.68 ID:op33K3/A0


 きっかけはささいなことだったんです。

憂「え……でも和ちゃんが『あんまり水換えるのよくない』って、そう聞いたから」

純「うーん、それにしたってもう替えなきゃだよ。スポイトで吸い出して捨てられるゴミだけじゃないんだし」

憂「そうかな……水替えたら、たーくん環境に慣れなくて」

 さっきまでと違って、どう話していいか分からなくなって言葉を選ぶのに焦ってしまいます。
 純ちゃんも言葉を選んでいるみたいですが、なぜかあわててしまう私を諭すように話しています。

純「ずっとおんなじ水の中にいる方が体に悪いよ」

憂「うん……その、水換えた方がいいのは分かってるんだけど、うん、分かってる」

純「っていうか、その、さ? 憂ってやっぱ過保護すぎて逆になんかベタとかも…」

唯「ちょ、ちょっと純ちゃん――」

 やっぱ最近の憂、なんか憂らしくないよ。
 ……いつ聞いたともしれない言葉がもう一度聞こえたとき、急に喉が苦しくなりました。


137: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 15:42:40.22 ID:op33K3/A0


純「ちょ――憂大丈夫?」

 さっき治まったはずのせきがまたぶり返してしまって、立っていられなくなりました。
 弾みでティーカップを落としてしまい、破片が床に散らばります。
 どうしよう、またこぼしちゃった。
 どうしよう、どうしよう……。

唯「う、うい大丈夫?! 待ってね、いま紙袋持ってくるから――」

純「あ、あの唯さん私も」


唯「純ちゃんはだまっててよ!」

 突き刺すようなお姉ちゃんの声が部屋に響きました。


138: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 15:53:53.00 ID:op33K3/A0


 なにも言えず立ちすくむ純ちゃんの横をお姉ちゃんは駆け出し、すぐに紙袋を握りしめて戻ってきました。

唯「ほらうい、大丈夫だからね? ゆっくり息して、深呼吸だよっ」

 私の身体を抱き留めて背中をさするお姉ちゃんの向こう側で、純ちゃんは食べかけのクッキーを握りしめたまま私たちを見ていました。
 おびえているのか、あわれんでいるのか分からないけれど、純ちゃんの目が怖くてお姉ちゃんの手を握りしめます。

唯「ごめんね、お姉ちゃんがこんなことになったせいで、憂に迷惑かけちゃって」

 違う。違うって分かってるのに……。
 大丈夫大丈夫大丈夫って自分に言い聞かせて呼吸を無理矢理整えようとするのですが、酸素はうまく身体に入っていきません。
 どうにか空気を吸い込もうとするのですが、するとよけいに咳がひどくなって涙までこぼれてきます。


139: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 16:07:30.56 ID:op33K3/A0


 だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。
 お姉ちゃんの声と背中をさするあったかい手に合わせて、少しずつ呼吸を楽にしていきます。

唯「だいじょうぶだよ、うい。私がそばにいるからね」

 お姉ちゃんは床にうずくまった私の右手と指を絡ませて、息が苦しくならないように身体を支えてくれます。
 体重を預けてリズムに合わせて深呼吸を繰り返していくうちに、がらがらと鳴っていた喉も次第に落ち着いていきました。

唯「……純ちゃん」

純「ごめんなさい、私が変なこと言ったせいで…」

唯「ううん、私だって分かってるもん」


141: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 16:18:57.43 ID:op33K3/A0


 来たばかりの純ちゃんはクッキーをちょっと迷ってお皿に戻し、ごちそうさまでした、と言って身支度をはじめました。
 お姉ちゃんはその間もだいぶ楽になった私の身体をずっと抱きしめて、だいじょうぶだいじょうぶとささやいてくれていました。

純「あの……言いにくいんですけど」

 帰りの支度を整えた純ちゃんが、目をそらしながらお姉ちゃんに声をかけます。
 お姉ちゃんは私を守るようにぎゅっと抱きしめて、純ちゃんの方を向きます。

純「唯さんは憂のためにも、引きこもりやめた方がいいと思います」

唯「……分かってるよ、そんなこと」

 ――やっぱり、おかしいですよ。こんなの。ラブとかじゃないです、ぜったい。

 とがめるでもなく、いたわるでもなく、ただ心配そうな声で最後に純ちゃんはそう言いました。
 それからドアを閉める間際に振り返り、何かを言おうとして――代わりに目を伏せて、その場を後にしました。

 お姉ちゃんの身体が震えたのに気づいて顔を上げます。
 すると……その大きな瞳から涙がこぼれて、ぽたりと私の服に染み込みました。


143: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 16:33:33.80 ID:op33K3/A0


唯「ごめんね、うい…なんにもできなくて、こんなことしかできなくて、つらいまんまで」

 お姉ちゃんが顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくり、私に抱きついてずっと謝り続けていました。
 違うのに。全部、わたしのせいなのに。
 お姉ちゃんが学校行けなくなったのも、外に出られなくなったのも。
 全部私が悪いのに……。

唯「私が、ニートだから。いけないんだよ……ごろごろしてる私が、全部わるいんだよぉ…」

 フローリングの床がすっかり暖まるほど長い間、涙を流す私たちは抱きしめあっていました。
 曇り空が晴れて差し込んでいたはずの光はまた厚い雲に遮られ、部屋の照明が作り物の光を私たちに浴びせています。
 お姉ちゃんの腕の向こうには今も割れたティーカップが散らばっていました。
 一瞬――たーくんの金魚鉢がそんな風に割れる光景が頭をよぎって、思わずお姉ちゃんの胸に顔を押し付けてしまいます。

唯「……だいじょうぶだよ、憂、だいじょうぶだからね、お姉ちゃんがダメなだけだから」

 半年前から引きこもりになってしまったお姉ちゃんは、昔と変わらず私の頭をなでていてくれたのです。
 そんな感触に身も心もゆだねながら……けれども、純ちゃんのさっきの言葉がずっと離れませんでした。
 ガラスが割れる音のように、ずっと頭に鳴り続けていたのです。


144: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 16:44:11.60 ID:op33K3/A0

――――――

(Christinaさんがオンラインになりました)

あいす: こんばんはっ

Christina: おう、元気だったか?

あいす: 家でずっとごろごろしてました・・・・。

Christina: あいすちゃんらしいなw

あいす: えへへ・・・・めんぼくないです(>_<)


145: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 16:51:38.96 ID:op33K3/A0


Christina: まあ私も今日はgdgdだったけどさ・・・・。

あいす: バンドの練習、でしたよね?

Christina: あー・・・・それさあ、キャサリンのやつが男ともめたらしくて(笑)

あいす: キャサリン・・・・って、どんな人でしたっけ??

Christina: ほら、うちのバンドのボーカル

あいす: あっなんか変身しそうな格好した人ですよね!

Christina: 変身て・・・・笑

Christina: まっ私もバンドだけやってるわけにはいかないしね

あいす: お勉強ですか?

Christina: うん。臨床心理士やるには大学院行かなきゃなんないし


146: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 16:58:23.58 ID:op33K3/A0


あいす: 大変ですね・・・・

Christina: バンドやってきたいけどさ、就職とかも考えないとだし

あいす: しゅうしょく・・・・なんかぜんぜん遠い先の話っぽくて、よく分かんないです

Christina: あいすちゃんはまだ中学生でしょ?

あいす: はい、学校いってないけど

Christina: 学校はいけよー

あいす: 行きたいんですけど、やっぱり外出るのこわくて

あいす: ドア開けて外出るだけだってわかってるけど

Christina: うん

あいす: なんていうか・・・・広い海にでるぐらい怖いんです


147: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:03:29.25 ID:op33K3/A0


Christina: 井の中の蛙、大海を知らず

あいす: なんですかそれ

Christina: 水槽の中の熱帯魚は幸せだけど不幸だってこと

あいす: むずかしいですね・・・・

Christina: とにかくさ、現状どんな感じなの

あいす: たぶん、心の病気なんだと思います

Christina: パニック障害っぽいよね、聞く限りじゃ

あいす: 病院いってないからわかんないですけど

Christina: 病院はいけよー

あいす: はい・・・・。

Christina: 私だってシロウトなんだし、学校行けないなら病院にはせめて行くべきだよ

Christina: 妹さんのためにもさ


148: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:16:18.61 ID:op33K3/A0


あいす: でも、病院いくには外出なきゃなんないです

Christina: 甘えすぎだろ

あいす: ごめんなさい・・・・

Christina: つか、あいすちゃんの話が本当なら児童相談所とか動いてもおかしくないレベルなんですけど

あいす: はい

Christina: 確かにキャサリンから聞いて法律上の話とかしたの私だけどさ

Christina: さすがにもう9月だよ

あいす: はい

Christina: 姉妹そろって留年とかヤバいって

あいす: そう思います


150: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:23:16.02 ID:op33K3/A0


Christina: 親はまだ海外?

あいす: はい、年内に戻れるかどうかって

Christina: なんという機能不全家族

Christina: てか受験生抱えた家族がそれとか・・・・

あいす: 受験の前からずっとそんな感じです

Christina: マジないわ・・・・

Christina: で、あいすちゃん的にはどうしてこうと思ってるの

Christina: やっぱり、まだ出たくない?


あいす: 外にでたいです


151: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:26:32.31 ID:op33K3/A0


Christina: えっと、なんかあったの?

あいす: どうしてですか?

Christina: いきなり変わったから

Christina: 言いすぎたかなって

あいす: 違うんです

あいす: 今日、妹の友達が家に来てて

Christina: うん

あいす: それで、ちょっとケンカみたくなっちゃって


152: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:32:07.05 ID:op33K3/A0


あいす: 私たちはラブじゃないって言われました

Christina: どうみても共依存だもんね・・・・

あいす: でも、私はういのことが好きなんです

あいす: それだけは本当です

あいす: 妹としてっていうより、一人の人間として愛してます

Christina: うーん・・・・

Christina: 正直、今のあなたの気持ちは信用できないかも

あいす: なんでですか?引きこもりだからですか?

Christina: ってかまずあいすちゃんが引きこもってるのってあれじゃん

あいす: それは分かってますけど・・・・


154: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:42:23.44 ID:op33K3/A0


Christina: 自立してないやつが言う愛は大体ただの依存だよ

あいす: 別れろっていうんですか

あいす: 女同士だからですか

あいす: 姉妹だからですか

Christina: そうじゃないって

Christina: 落ち着いて聞いて

あいす: はい

Christina: あいすちゃんが妹のことすごい思いやってるのはわかる

あいす: はい

Christina: だけどそれって妹さんのこと閉じ込めてるわけでしょ

あいす: 分かってます

Christina: いいの?


155: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:45:55.60 ID:op33K3/A0


あいす: 私はういに元気になってほしいです

Christina: だったら、妹さんと向き合わなきゃ

あいす: はい

Christina: しかるべき医療機関にかからなきゃダメ

あいす: 前行った時は睡眠薬くれただけでした

Christina: じゃあ他探しなよ

Christina: なるべく話聞いてくれるとこ

あいす: はい

Christina: ところでベタ飼ってるんだっけ

あいす: はい、そうですけど


156: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 17:57:31.38 ID:op33K3/A0


Christina: ベタって闘魚っていうの知ってる?

あいす: しらないです

Christina: 狭い水槽の中に二匹入れとくと共食いしちゃうんだって

Christina: だから二匹以上が育つためには広い飼育場所が必要みたい

あいす: なにがいいたいんですか?

Christina: あいすちゃんも自分たちの水槽壊さなきゃだめだよ


157: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 18:04:03.92 ID:op33K3/A0


Christina: 共食いはしないにしても、共倒れにはなっちゃうから

あいす: でも、お魚って外出たら息できなくなりますよ

Christina: それは水槽の中の水に慣れすぎたからでしょ

Christina: ちょっとずつでも、外の世界に慣れてかなきゃダメ

Christina: そのまま水入れ替えないと酸素足りなくなって二人とも死んじゃうよ

あいす: はい

あいす: 分かりました

Christina: それに、助けてくれる人だっているでしょ


159: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 18:07:00.59 ID:op33K3/A0


Christina: あいすちゃんの言ってた隣人さんとか、幼馴染の子とか

あいす: あとさっきのういの友達も、たぶんすごく心配してくれてます

Christina: だったら、あとは勇気出すかどうかじゃん


あいす: がんばってみます

Christina: がんばれ

Christina: 二人のこと応援してるから

あいす: はい!


164: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 18:37:10.95 ID:op33K3/A0


 あふれる涙がようやくおさまったのは、陽がすっかり沈んだころになってでした。
 私の部屋の窓からは電灯や隣の家の灯りがもれ、夕暮れ時を過ぎたせいか自動車の走る音も多くなったようです。
 どうもずっとお姉ちゃんの腕の中にいたので、しばらく夢を見ていたみたいに感じました。

 リビングを出たお姉ちゃんは晩ごはんを作ろうとする私をおさえて、一眠りした方がいいと言います。
 心配ないよ、大丈夫だよと言ったのですが、どうやらお姉ちゃんにもやることがあるみたいです。
 根負けした私は久しぶりに自分の部屋のベッドに入り、泣き濡れたときから残る夢うつつのまま、ぼんやりと窓の外を眺めていました。

 部屋の窓に反射する豆電球の灯りをぼんやり眺めながら、純ちゃんの言葉を思い返していました。
 妙にさみしくなってその場の布団を抱きしめてみるのですが、いつもと違ってお姉ちゃんの匂いはしません。

憂「お姉ちゃん……好きだよ」

 綿の入った布袋を抱きしめてわざと声に出してみる私は、傍から見たらこっけいなのかもしれません。


165: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 18:38:06.02 ID:op33K3/A0

――――――

 あふれる涙がようやくおさまったのは、陽がすっかり沈んだころになってでした。
 私の部屋の窓からは電灯や隣の家の灯りがもれ、夕暮れ時を過ぎたせいか自動車の走る音も多くなったようです。
 どうもずっとお姉ちゃんの腕の中にいたので、しばらく夢を見ていたみたいに感じました。

 リビングを出たお姉ちゃんは晩ごはんを作ろうとする私をおさえて、一眠りした方がいいと言います。
 心配ないよ、大丈夫だよと言ったのですが、どうやらお姉ちゃんにもやることがあるみたいです。
 根負けした私は久しぶりに自分の部屋のベッドに入り、泣き濡れたときから残る夢うつつのまま、ぼんやりと窓の外を眺めていました。

 部屋の窓に反射する豆電球の灯りをぼんやり眺めながら、純ちゃんの言葉を思い返していました。
 妙にさみしくなってその場の布団を抱きしめてみるのですが、いつもと違ってお姉ちゃんの匂いはしません。

憂「お姉ちゃん……好きだよ」

 綿の入った布袋を抱きしめてわざと声に出してみる私は、傍から見たらこっけいなのかもしれません。


168: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 18:54:29.23 ID:op33K3/A0


 お姉ちゃんのいない布団を抱きしめていたら、いつの間にか眠ってしまったみたいです。
 その時見た夢はどこか遠い昔のような、けれどもすぐ先の未来のような、そんな不思議なものです。

 私たちはお姉ちゃんの部屋の隅に高さ二十センチぐらいの小さなドアがあるのを見つけました。
 お姉ちゃんは私の手を引っ張って、そのドアへといざないます。
 すると私たちはそのドアへと吸い込まれて、一瞬息ができなくなります。

 吸い込まれていった先は海底のようです。
 いきなり水の中に来てしまって息が出来なくなりそうでしたが……しばらくするとだいぶ楽になりました。
 変な話ですけど、これも慣れなのかもしれないですね。

 私ははしゃぐお姉ちゃんに手を引かれながら、階段の形をしたさんご礁やブランコのように揺れる海草を見て回ります。
 その世界は初めて見るようで、けれども大昔に見たことがあるような不思議なものでした。

 小さな魚が三匹、私の後ろから泳ぎ抜けていきます。
 そのあどけない姿がどこか懐かしく思えると、手を繋いだお姉ちゃんも私と同じように微笑んでいました。

唯「うい、覚えてる? ここ……ずっと前に一緒に遊んだとこだよ」

憂「そうだね……お姉ちゃん」

 私たちは目の前のさんご礁を眺めながら、その場に隠れて遊ぶ小魚たちを見守っていました。
 水の中だというのにお姉ちゃんの手はずっとあったかいままで、それがずいぶん私を安心させてくれました。


171: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 19:08:36.98 ID:op33K3/A0


 しばらく海底を散歩する夢を見て、私は目を覚ましました。
 窓の外から静かに鳴る虫の音は寄せては返す波の音のようにも聞こえて、布団の中に帰ってきたのにまだ海底にいるような錯覚もあります。

 うなされない夢を見られたのはずいぶん久しぶりのことでした。
 たぶん、夢の中で手をつないでいてくれたお姉ちゃんのおかげです。
 豆電球のやわらかい灯りの下で、私は夢でつないでいた方の手を出して眺めてみます。
 夢のことを思い出すとお姉ちゃんがいとおしくなって、眠い目をこすってベッドから起き上がろうとしました。
 会いたい。
 夢みたいに、手をつないで……外に、出てみたい。

 自然とそう思えた矢先、ノックの音がしました。

唯「ういー、起きてる? ご飯つくったよ」


172: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 19:12:05.42 ID:op33K3/A0

すみません俺もご飯食べてきます


178: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 20:08:47.73 ID:op33K3/A0

再開

書き溜め尽きちゃったのでペース落ちてます
すみません


179: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 20:10:22.53 ID:op33K3/A0


憂「あ……お姉ちゃん!」

 部屋のドアが開いた瞬間、思わず私は飛び出してお姉ちゃんに抱きついてしまいました。

唯「ひゃ……う、ういどうしたのさっ」

 あっけに取られてるのも気にしないで、まるでお姉ちゃんみたいにいきおいよく抱きしめます。
 あんな夢を見たせいなのか、本当のお姉ちゃんに触れたくてしょうがなかったんです。

唯「もう、ういはあまえんぼさんだなぁ…」

 お姉ちゃんはくすっとほほえんで、飛びついた私をそっと受け止めてくれました。
 あったかい腕が肩甲骨から腰の方へ回されると、身体の奥まで安らぎがしみわたっていくようです。
 部屋を一歩出た薄暗い廊下で、私はしばらくお姉ちゃんのやわらかい身体に包まれていました。

 離れたくない。ずっと一緒にいたい。
 そしてそれは、いつまでも叶うような気もしていました。
 たぶん全部、あんな夢を見てしまったからなんです。


182: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 20:27:06.42 ID:op33K3/A0


 冷たい廊下で身体が冷えそうになった頃、私たちはリビングに向かいました。
 その前に、私は気の済むまで私に抱きしめられてくれたお姉ちゃんにもう一つおねだりをしてしまいます。

唯「え、手つなぎたいの? うん、いいよ。はい!」

 お姉ちゃんは私の前に手を広げて差し出します。
 その時お姉ちゃんが出した手は……偶然でしょうか、夢と同じ右手でした。
 私は指を絡ませて恋人同士の握り方で手と手をつなぎ合わせて、階段を下ります。
 電気のついてない廊下は薄暗く、ちょっとだけ本当に海底を散歩しているような気分になりました。

唯「うい、なんかうれしそうだね……いいことあった?」

憂「うん。お姉ちゃんのおかげだよ」

唯「私はなんにもできてないよぉ」

 そんな風に私に向けてくれる笑顔と、こうして握っている手の感触だけでも十分なんだけどな。
 ……なんて、恥ずかしくて言えないので代わりにつないだ手を握り締めます。
 するとすぐに握り返してくれた手の感触が、また私の心をおどらせるのです。

 手をつなぐ幸せをもう一度教えてくれたのは、やっぱりお姉ちゃんでした。


183: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 20:42:32.31 ID:op33K3/A0


 それから私はお姉ちゃんの作った晩ごはんを一緒にいただきました。

唯「ハチミツあったけどリンゴなかったから代わりにジュース入れてみたんだけど……やっぱ失敗だよね、あはは」

憂「もう、ハチミツとリンゴなんてどこで聞いたの?」

唯「え、CMでやってるじゃん! リンゴとハチミツって」

 お姉ちゃんが作ってくれたカレーライスは、おせじにも上手いとは言えないものでしょう。
 けれども「お姉ちゃんが私のために作ってくれた」ことだけで、どんな調味料よりもおいしく感じました。

憂「ふふ、リンゴはすりおろしじゃなきゃダメなんだよ?」

唯「そんなの知らないよぉ…」

 私は一生懸命作ったらしい水っぽいカレーをおいしくいただきました。


185: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 20:55:10.11 ID:op33K3/A0


 食べている間、お姉ちゃんは不思議なことをしていました。

唯「ねぇうーい、このカレーまずいよね? おいしくないよねぇ?」

憂「えっ……そんなことないよ。おいしいよ、お姉ちゃんが作ったんだもん」

 うそではありません。
 せっかくお姉ちゃんが作ってくれたカレーなので、私にとってはどんな味でもおいしいのです。
 でも、お姉ちゃんは納得してくれず、何度も私に「まずい」と言わせようとします。

唯「だってカレーにジュース混ぜちゃったんだよ?! 和ちゃんだってまずいって言うはずだよぉ」

 お姉ちゃんの考えてることが分からなくて、ちょっと悩んだけれどお姉ちゃんの言うとおりにしてみました。

憂「……うん、ジュースはまずかったと思うな」

唯「そっちのまずいじゃなくて! ほら、このカレーまずいよねぇ…?」

 なんでお姉ちゃん、泣きついてまで「まずい」といわせたがるんだろう……。


186: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 21:07:27.05 ID:op33K3/A0


 お姉ちゃんがどうしても引き下がらないので、仕方なく私は言いました。

憂「……このカレー、まずい」

唯「心がこもってないよっ、もっとまずそうに言って!」

憂「えっ……ええっ?」

 それから三回、カレーをまずいと言い直してようやくOKが出ました。
 大好きなお姉ちゃんのカレーをけなしてしまって、私の方がちょっと泣きそうになりました……。
 でも、お姉ちゃんはなぜかまずいと言われてうれしそうです。

唯「えへへ、憂にまずいって言ってもらえた!」

憂「……どうして?」

唯「だってさあ。ほんとの恋人って、相手のダメなとこはちゃんとダメって言うものなんだよ?」


191: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 21:36:25.83 ID:op33K3/A0

>>187
長い間保守ありがと
4分の3か、長引いても3分の2辺りには来てる
そろそろ伏線回収してく


188: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 21:16:44.18 ID:op33K3/A0


 ほんとの恋人。
 突然お姉ちゃんの口からそんな言葉が出て、心臓がとくんと動いてしまいます。

唯「憂は私のダメなとこを見てくれないからねー、ちゃんと向き合わなきゃダメなんだよっ」

 お姉ちゃんの言葉の意味が伝わると、揺れ動いた胸の奥にじんわりと温かいものがあふれるのを感じました。
 たった一言二言で、さっきまでほんの少し浮かびかけていた涙の意味がすっかり変わりました。

憂「……お姉ちゃん、このカレーまずい!」

唯「そっ、そんなうれしそうに言われても……どうしていいか分かんなくなるよ」

 なんだかあまりにもミスマッチだったので、二人して吹き出してしまいました。
 私もお姉ちゃんみたいだな。
 そう自然に思えたことが、すごくすごくうれしかったです。


192: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 21:37:30.12 ID:op33K3/A0


 食べ終わった食器を片付けていると、お皿を洗っていたお姉ちゃんがお風呂に誘いました。

唯「ねぇはいろうよー、今日は一緒に入りたい気分なんだよう」

憂「昨日は入りたくないって言ってたのに、急にどうしたの?」

唯「えっとね、ういのからだを洗ってあげたいの!」

 あ、変なことはしないよ? ただ洗うだけだから安心してね。
 私が何か思う間もなく、お姉ちゃんがすぐそう言ってしまいます。
 ちょっとだけよこしまなことを考えちゃったのがはずかしくなりました……。

唯「……えへー、ういちょっとなんか期待したー?」

 にやにやとほっぺをつついてくるお姉ちゃんから顔を隠すように、私は自分の部屋へ逃げ込みました。
 着替え、やっぱりちゃんとした下着の方がいいのかな?
 って、なに言ってるだろう私……。


203: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 23:31:32.81 ID:op33K3/A0

ごめん寝てしまってた
なんとか続き進める


207: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 23:49:44.02 ID:op33K3/A0

>>205
最低限進めときたいとこまでは書き上げてから考えます
なるべく保守は避けたいので…
長々とすみません


208: 誤字訂正(>>192) 2010/10/10(日) 23:51:12.56 ID:op33K3/A0


 食べ終わった食器を片付けていると、お皿を洗っていたお姉ちゃんが私をお風呂に誘いました。

唯「ねぇはいろうよー、今日は一緒に入りたい気分なんだよう」

憂「昨日は入りたくないって言ってたのに、急にどうしたの?」

唯「えっとね、ういのからだを洗ってあげたいの!」

 あ、変なことはしないよ? ただ洗うだけだから安心してね。
 私が何か思う間もなく、お姉ちゃんがすぐそう言ってしまいます。
 ちょっとだけよこしまなことを考えちゃったのがはずかしくなりました……。

唯「……えへー、ういちょっとなんか期待したー?」

 にやにやとほっぺをつついてくるお姉ちゃんから顔を隠すように、私は自分の部屋へ逃げ込みました。
 着替え、やっぱりちゃんとした下着の方がいいのかな?
 って、なに言ってるんだろう私……。


209: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/10(日) 23:52:03.15 ID:op33K3/A0


唯「ういー、はいるよぉ」

 私がシャワーを浴びてお風呂につかっていると、下着一つつけていないお姉ちゃんが入ってきました。
 本当はいつも見ている姿なのですが……こうした明るい場所だと、正面からみるのはちょっとはずかしいです。

唯「あれ、うい照れてるの?」

 そんな私の気持ちを見透かしたように、お姉ちゃんはわざと私の顔を正面から見ようと肩をつかまえてくるのです。
 目をそらそうとするほど面白がって追いかけてきて、いつの間にか水遊びのようになってしまいました。

 ふと気づくと、私の両頬はお姉ちゃんの手のひらにつかまっていて。
 目の前にお姉ちゃんの大きな瞳と、やわらかい唇がそこにはあって。
 思わず私は目を閉じてしまいそうになったのですが――

唯「……ぷっ、ふふっ」

憂「……えっ…ぷくっ、ふふっ…お、おねえちゃん、何がおかしいの……ふふっ」

唯「ぷふっ…ういだって、わらってるじゃん……」

 互いにつられて吹きだしてしまいました。
 二人分の笑い声が狭いお風呂場に響きます。
 いつしかお姉ちゃんの手のひらの温かみにのぼせそうになっていました。


539: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 00:58:35.17 ID:A61Gh9L10


 たーくんと出会ったのもそのときです。
 お姉ちゃんが、二人で何かペットを飼ってみようと言い出したのがきっかけでした。

唯「二人で一緒に育てたら、なんだか私たちの子どもみたいだよね!」

 無邪気な笑顔でそう言われてしまうと、私もなんだかわくわくしてしまいました。
 お姉ちゃんとの子ども……今考えると、やっぱり恥ずかしいです。

 はじめ私は犬か猫を飼うのかなと考えていました。
 ですがお姉ちゃんはテレビで熱帯魚を飼っている家を見つけて「あれに決めたよ!」と言い出しました。
 気になって聞いてみるとお姉ちゃんは「わんこもかわいいけど、お散歩しなきゃいけないもん…」とぼやくのです。
 どうやら、外を出歩くのが怖い私のために、家の中で簡単に飼えるペットを選んでくれたみたいでした。

 そうしていつだかの心療内科の帰りに、ホームセンターの中のペットショップで小さなベタを一匹買いました。
 名前は、たーくん。
 私がベタをもじった名前にしようと言ったら、お姉ちゃんがつけてくれました。

唯「二人で考えた名前だと、本当に子育てみたいだね……えへへ」

 ちょっと顔を赤らめてお姉ちゃんは言うのです。
 そんなこと言われたら、私が照れちゃうよ……。


550: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 03:14:51.32 ID:A61Gh9L10


 ベタの飼い方はお姉ちゃんが調べてくれましたし、前に熱帯魚を飼っていた和ちゃんもいろいろ手を貸してくれました。
 二人や時々連絡をくれる純ちゃんのおかげで、家の中でなら少しは元気になれたようです。

 お姉ちゃんが学校に行っている間、私はお菓子を作ったりお掃除をしたり、教科書の予習を進めてみたりして過ごしました。
 放課後、五時半になるとお姉ちゃんは寄り道もしないで帰ってきてくれます。

 ただいま。
 おかえり。
 ……そんな言葉を交わしていると本当の夫婦になってしまえたような気になって、なんだかとてもうれしいのです。
 ひとりぼっちの家でお姉ちゃんの帰宅を待つことは、少しさみしいけどうれしいことでした。

唯「ういは私のお嫁さんだね…!」

 いつだかお姉ちゃんがくれたその言葉は、私たちの姉妹関係が壊れる予兆だったのかも知れません。


552: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 03:44:29.19 ID:A61Gh9L10


 秋も深まって窓の向こうの木々が色づく頃には、私はお姉ちゃんと一緒でないとどこにも行けなくなっていました。
 道行く人の視線が怖くて、いつ発作を起こしてしまうかも怖くて。
 気が付くと教室のドアどころか玄関さえもお姉ちゃんの温もりなしで開けられなくなっていたのです。
 私は家から一歩も出られず、ただただ家で登校するお姉ちゃんの帰りを待つ身となりました。

 やがて私は誘惑に負けて、少しずつお姉ちゃんにいじわるをしてしまいます。
 わざと身体を冷やしては風邪をひいてみたり。
 眠ってる振りをしてお姉ちゃんに抱きついて離れなかったり。
 じゃれ合って甘えているだけだったつもりが、いつの間にかお姉ちゃんが学校に行くのを邪魔するのがくせになってしまいました。

唯「もう……ういー、お姉ちゃんはちゃんと家に戻るから。ね?」

 玄関で靴を履いたお姉ちゃんに「いってらっしゃい」を言おうとするたび言葉に詰まりました。
 そして自然と手を握っては引き留めてしまうのです。
 お姉ちゃんは笑顔で私の頭をなでて、キスをしてから学校に向かいます。

 最初から、気づいていました。
 私がお姉ちゃんを家に閉じこめようとしてしまっていることに。
 けれどもいない間に心が変わってしまうことが怖くて、不安で、どうしようもなかったんです。

 ――お姉ちゃんを苦しめている私なんか、水に浮かぶ気泡のように弾けて消えてしまえばいいのに。

 心の底に焼き付いた自分を傷つける言葉は、一人でいると頭の中で反響して……どうしようもなくなります。
 こっそりと包丁の先で指をつついて怪我をしてみるようになったのは、年末ごろからでした。


568: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 08:21:49.47 ID:A61Gh9L10

寝ずに書こうとしたのが逆効果だと三日目にして気づいた
さすがにもう書ける
ほんとすまん


569: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 08:22:40.55 ID:A61Gh9L10


 ことの起こりから言えば、はじめ私はお姉ちゃんを心配させたかったのかも知れません。
 けれども次第に、私の行為は自分への罰へと変わっていきました。

 いくらお姉ちゃんを困らせたって、お姉ちゃんは私のことを受け止めてくれます。受け止めてしまいます。
 やさしすぎて、よけいに失うのが怖くなりました。
 いつか私がお姉ちゃんを求めすぎて、ついに見捨てられるんじゃないかと不安でたまらなかったです。

 人の気持ちも考えず、わがままを言う悪い子は罰を受けなければいけません。
 私は自分の身を傷つけたときのぴりりとした痛みと、皮膚に浮かぶ赤い血を感じることを勝手に自分への罰にしました。

 でも、どんなに自分を罰してみたところで罪が消えるわけではない。
 結局自分を傷つけることで自分の行いを勝手に正当化してるだけなんじゃないか。
 ……最初から、そんなことは気づいていました。

 今年の三月のことです。
 私はお姉ちゃんをこれ以上苦しめないために、最高で最悪なやり方を選んでしまいました。


571: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 08:42:14.24 ID:A61Gh9L10


 学年末テスト最終日の夕方、私はリビングでテレビをつけたまま掃除をしていました。
 番組を見るためというよりも人の声をそばで流しておくためでした。
 静かな場所は落ち着くけれど、あまりにそれが続くと自分がひとりぼっちなことをよけい思い知ってしまうからです。

 濡れた雑巾をバケツの上でしぼっていたら、夕方のニュース番組で引きこもりの特集が始まりました。
 そこに映った引きこもりの男性は、中学受験に失敗して不登校となり、十年近く社会復帰できないでいるそうです。
 彼は自分の家族に対して暴力をふるい、意のままにならないたびに部屋のものを壊したりと暴れます。
 家族はそんな男性を疎んじ、腫れ物に触るような態度でしか関わることができなくなっていました。

 彼のお姉さんは、音声を変えて目線を隠した状態で言いました。

 『私の人生は、あいつの世話のせいでめちゃくちゃにされたんです』

 機械でねじ曲げられた音声が、私の耳にはお姉ちゃんの心の叫びとして聞こえました。
 もう、お姉ちゃんに家に閉じ込めて世話をさせている自分に耐えられなくなりました。


 ――しばらくして、私はお姉ちゃんの叫び声で我に返りました。


572: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 08:58:19.94 ID:A61Gh9L10


唯「……ばか! なにしてるのさぁ…なんで、なんでそんなこと、するのっ」

 お姉ちゃんの腕の感触に気づくと、左の手首は真っ赤に染まっていました。
 床の向こう側にお姉ちゃんが投げ飛ばしたらしい包丁が転がっています。
 放心状態でまだ感情の追いつかない私は自分がなぜ泣き叫ぶお姉ちゃんに抱きしめられているのか、よく分からなかったです。

憂「……ごめんなさい。私が引きこもってるから、お姉ちゃんは迷惑なんだよね」

唯「私は憂が死ぬ方がいやだよ?! ばかじゃないの! なんで……なんでそんなことも分からないのさっ」

 どこか冷めた状態の私とは対照的に、お姉ちゃんは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして叫んでいました。
 お姉ちゃんの制服が汚れるからと身をよじっても、お姉ちゃんは私から離れようとしません。
 なので私の手首から流れ出た血がお姉ちゃんの制服をすっかり汚してしまいました。

 白い制服に広がった赤い染みが目に焼き付いて、ようやく自分がなにをしたのかを実感します。

 あ……そっか。
 私、死ぬこともできなかったんだ。
 またお姉ちゃんを心配させただけだったんだ。


573: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 09:15:14.83 ID:A61Gh9L10


 お姉ちゃんに抱きしめられたまま、どれぐらいの時間が経ったでしょうか。
 テレビはいつの間にか消えていて、お姉ちゃんと私のすすり泣く音だけがリビングに反響していました。

唯「……ういはっ、ういはわるくないの…わるいのは、わたしなのっ」

 お姉ちゃんは私を抱きしめながら、受験で私を追いつめてしまったことを謝るのです。
 悪いのは全部私なのに。
 今もこうしてお姉ちゃんの身体を汚しているのは私なのに。

憂「おねえちゃん…わたし、もう、おねえちゃんにね、ひどいことしたくないよ……」

 答えを求めた言葉では、なかったです。
 ただそのときは頭の中はどうしようどうしようごめんなさいごめんなさいとそんな言葉であふれていただけでした。
 それなのに、私を抱きしめるお姉ちゃんはとっておきの嘘をついてくれたんです。

 憂、引きこもりは私の方なんだよ。
 憂が家にいるのは、家でごろごろしてる私のお世話をするためなんだからね――

唯「……だからねっ、ういはね、ぜんぜんわるくないんだよ……むしろいい子なんだよっ」

 ありがとう、憂。
 こんな、ダメなお姉ちゃんのお世話をしてくれて。
 そう言うとお姉ちゃんは私になにも言わせないように、くちびるを自分のでふさぎました。
 一瞬こばもうとしたお姉ちゃんの舌を……私は受け入れて、自分のそれを絡め合わせたのです。

 こうしてその日から、私たちは共犯関係となりました。


575: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 09:37:43.65 ID:A61Gh9L10


 それからお姉ちゃんは不登校になりました。
 昼過ぎまで眠って、マンガを読んだりパソコンで遊んだりする毎日。
 私はそんなダメなお姉ちゃんのために、朝昼晩と晩ごはんを作ったりお姉ちゃんのお話相手になったりとがんばります。

唯「ういー、アイスー…」

憂「おはようお姉ちゃん、お昼ごはん食べてからね」

 私たちはみるみるうちにお互いの演技に騙されていきました。
 気づけば本当に自分たちが「引きこもりの姉と、世話をする妹」のように錯覚するほどでした。

唯「……ごめんね、お姉ちゃんが引きこもりなせいで、憂に迷惑かけちゃって」

 お姉ちゃんは自分の身を呈して、家から出られない私に「仕事」を作ってくれたのです。
 私たちはたがいになくてはならない存在となりました。
 ……もちろん、悪い方の意味ですけど。


577: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 10:06:51.63 ID:A61Gh9L10


 同じ日の晩のうちに、私たちは身体の関係を持ちはじめました。
 お姉ちゃんが私を抱いてくれたのは、すぐ疑ってしまう私にはっきりと気持ちを伝えるためだった、いつだかそう言っていました。

 私が少しでも不安を感じないようにと、お姉ちゃんは私の髪の毛からつま先まで深く深く愛してくれました。
 身体の奥のやわらかいところに手を伸ばして、生乾きの私の手首ににじんだ血をなめながら言います。

唯「ずっと離れないからね。私は一生、憂のそばにいるからね」

 お互いの皮膚を溶かし合って、ピークに達した多幸感に意識が焼き切れるあの瞬間。
 ほんの数十秒、あの瞬間だけは私はお姉ちゃんと一つに繋がれた気がしたのです。

 満たされきってしばらくして気づくと、濡れた自分の指からはお姉ちゃんの匂いがしていました。
 お姉ちゃんはそんな私の指を、同じように水気の残る自分の指と絡め合わせます。
 絡まった太ももと、唇のなかをやわらかくなぞる感触は心の奥底の不安まで塗りつぶしてくれました。

 夜ごとに身体を求め合い、嘘の関係のなかで本当の気持ちを確かめ合う。
 私が欲していたのは、快楽というよりも実感だったのだと思うのです。

 生まれた時から仲良しだった私たちは夫婦となり、恋人となり、姉妹でもあり、そのどれでもなくなりました。
 現状がそのどれよりもすばらしい関係だということにして、二人そろって自分たちの依存心から目を背けたのです。


579: やっぱ訂正して区切りいれとく(>>272) 2010/10/13(水) 10:40:35.06 ID:A61Gh9L10

――――――

 三年ぐらい前の話になります。
 そのとき私は小学五年生で、たしか四月ぐらいだったでしょうか。

 その年、お姉ちゃんと和ちゃんが小六から塾に通い始めました。
 その塾は関東一帯にチェーン展開する大規模なものだったのですが、私たちは中学受験をするつもりなんてありませんでした。
 遊んでばかりだとよくないし、英語でも習ってみたらどうか。
 お母さんがお姉ちゃんを塾に入れたのはそんな軽い気持ちからだったようです。
 その頃からなんでもお姉ちゃんと一緒がよかった私は、後を追うように入塾しました。

 今にして思えば、たまたま運が良くて、他の生徒よりも少しだけ勉強をがんばっただけなんだと思います。
 けれども私は六月の五年生対象の塾内テストで、全塾生中で三位の成績を取ってしまったのです。

 和ちゃんは目を見開いて驚き、お姉ちゃんはうれしそうに抱きしめてくれました。
 お母さんやお父さんにも頭をなでられて、なんだかちょっとてれくさかったです。

 ――うい、よくがんばったね。

 そう言ってお姉ちゃんは冗談で、ほっぺたにキスをしてくれたのを今でも覚えています。


580: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 10:41:26.07 ID:A61Gh9L10

――――――

 ちょうど半年前と同じ、制服姿のお姉ちゃんの腕の中で私はこれまでのことを思い返していました。
 呼吸もいつの間にか治まっていて、手足のふるえもなく思うようにお姉ちゃんを抱きしめていられます。

 私の太ももから体温が冷たい廊下へと少しずつ流れていることに、今になって気づきました。
 お姉ちゃんは……泣き疲れて、私を抱きしめながら眠ってしまったみたいです。

和「……大丈夫そうね」

純「みたいですね」

 和ちゃんと純ちゃんが腕の向こう側でほほえんでいるのを見つけて、少しほほえみ返しました。
 何かあったら連絡するのよ、和ちゃんはそう言うとカバンを持って純ちゃんと二人で家を出ました。
 ドアが閉まる直前、純ちゃんが振り向いて言います。

純「……待ってるからね」

憂「……うん。ありがとう」

 純ちゃんは少しだけ目を細めて、それからドアの向こうへと消えました。
 すき間から見えた向こう側はお天道様も照っていて、散歩するにはとても気持ちよさそうな天気でした。


581: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 11:14:05.81 ID:A61Gh9L10


 なんだか長い夢から目覚めたような気がします。
 たぶん静かな海のように居心地のいい場所で、ハチミツみたいな甘い夢を見てきたのでしょう。
 そういえばお姉ちゃんはおととい、糖分も成長に必要だと言っていました。
 だったら……今まで見ていた夢も、私たちに必要なものだったように思えたのです。

 ふと、お姉ちゃんの腕時計を見ると午後二時を過ぎたところでした。
 私を抱きしめて、唇のはしっこから少しよだれをにじませて眠るお姉ちゃんは、いったいどんな夢を見ているのでしょうか。

憂「……お姉ちゃん起きて、もう昼過ぎだよ?」

唯「あれ…うい、起きてたの」

 私がそうささやくと、お姉ちゃんは眠りの海から目を覚ましたみたいです。
 ねぼけ眼のお姉ちゃんは、いつもと変わらないふわっとしたほほえみを浮かべていました。
 玄関の横の窓からは陽の光が射し込み、ドアの前をからりと照らしています。
 その温かみもいまは気持ちよくて、思わず一眠りしてしまいそうなところをこらえます。


582: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 11:19:04.33 ID:A61Gh9L10


唯「そと……はれてるねぇ」

憂「そうだね、あったかくて気持ちよさそうだね」

 少しずつ目を覚ましつつあるお姉ちゃんに抱きしめられて、窓の向こうを見上げてみます。
 いつか見た海のように澄んだ青空の中、誰かが飛ばした白い風船が空を泳ぐように漂っていました。

 私は、お姉ちゃんに言います。

憂「晴れてるし……お散歩に、行ってみたいな」

 ようやく眠りから覚めたお姉ちゃんは、やがてまぶしいほどの笑顔でうなづいてくれました。

唯「そうだね……じゃあ、一緒にいこっか」

憂「うん。手をつないで、外へ出よう」

 お姉ちゃんの手は、やわらかくてあったかかったです。


585: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 11:59:30.29 ID:A61Gh9L10


 私はシャワーを浴びて、服を着替えます。
 外出するのは本当に久しぶりなので、どうしてもどきどきします。
 それにやっぱり、まだちょっと怖いのです。
 半年ぶりの足を踏み入れる外の世界がどんな風なのか、想像もできなくて。

 だから髪を結った鏡の中の私もどこか不安げに見えました。
 けれども、鏡の向こう側に映ったお姉ちゃんが手を振った時――心のつかえが取れた気がしました。

唯「準備できた?」

憂「…うん」

唯「それじゃあ、いこっか」

 繋いだ手を離さずにお姉ちゃんがドアを開けて、私が歩き出すのを待っています。
 深呼吸を一つして……向こう側の世界へと、ゆっくり踏み越えました。
 おぼつかない足で少しずつ家を離れ、家の前の道路へと出ました。

憂「……あったかくて、きもちいいね」

唯「そうだね!」

 隣のお姉ちゃんは笑いました。
 そよ風の吹く暖かい道のりを、二人で歩く。
 絡ませた指に力を込めると、同じように握り返してくれる。
 たったそれだけのことが……とても尊いものに感じたんです。

 陽の光に照らされて半年振りに歩くこの街は、全てがきらきらと光って見えました。


587: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 12:27:26.06 ID:A61Gh9L10


唯「どこ行こっか?」

憂「うーん…」

唯「じゃあさ、あっちいこうよ」

憂「うん!」


588: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 12:28:27.02 ID:A61Gh9L10


 昼間のまばらな人通りの道を、手をつないで歩きます。

 肌を暖める陽の光。
 遠くで響く、鳥の鳴き声。
 うなじをなでて吹き抜ける風。
 一つにつながって伸びた二つの影。
 そのどれもが、家の中から水槽のような窓を通して見た時には味わえなかった新鮮な感触でした。

 私はただ、お姉ちゃんの進む方へ歩いてきます。
 言葉を交わさなくたって、どこへ向かってるかは分かりました。
 もしかしたら手の温もりが教えてくれたのかもしれません。

唯「ついたねえ」

 そこは、むかし私たちが一緒に遊んだあの公園でした。
 向こう側のベンチは、いつか見た夢のように砂金のような木漏れ日に照らされていました。


589: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 12:40:08.68 ID:A61Gh9L10


 二人でそのベンチに腰掛けてみたら、ちょっと窮屈でした。
 小学生やその前は広く感じたので少し不思議な気分です。

唯「ベンチが小さくなっちゃったのかな…」

 お姉ちゃんはくすくす笑って言うので、私もつられてしまいます。

憂「私たちが、おっきくなったんだよ。お姉ちゃん」

 言葉に出してみると、幼稚園の頃の私たちがふっと浮かんで……なんだかとても遠くまで歩いてきたような気がしました。

 握ったままの手を私の太ももの上に乗せて、お姉ちゃんの肩に頭をあずけてみます。
 こうして狭いのも、くっつけるからうれしいかな。


591: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 12:49:23.04 ID:A61Gh9L10


 木漏れ日が足下できらきらと揺れるなかで、私たちは寄り添って過ごしました。

 お姉ちゃんは今朝、私の復学に必要な手続きを調べに学校に行っていたそうです。
 話によると、一年近く休んでいても心療内科の診断書があればなんとか取りはからってくれるみたいです。

唯「落ち着いたら、さ」

憂「うん」

唯「学校、いこっか」

憂「……そうだね」

 学校に行って、中学生をやり直す。
 それは私たちが、姉妹をやり直すという意味でもありました。


592: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 12:57:18.87 ID:A61Gh9L10


唯「ねぇ」

憂「なあに?」

唯「…すきだよ」

憂「うん…わたしも」


唯「…やっぱ、ういのこと、すきじゃない」

憂「………」

唯「……あいしてる」

憂「うん……わたしも、おねえちゃん」


593: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 13:15:47.33 ID:A61Gh9L10


 隣にいるお姉ちゃんの顔を見上げると、うっすらと涙を浮かべていました。
 かすかに震えるお姉ちゃんの手を、私も強く握ります。
 私もまぶたが熱くなって、視界がうるんでいくのを感じました。

唯「……うい、わたし…離れたくないよ…」

憂「おねえちゃん…わたしも」

唯「でもね、私たち……おとなにならなきゃ。でなきゃ、愛せないよ」

 依存じゃなくて、愛にするためには、お互いが自立しなくちゃいけない。
 お姉ちゃんは、チャットでそういわれたと涙ながらに教えてくれました。

 いつも私のことを真っ先に守ってくれたお姉ちゃんが、そのときはとても小さく見えたのです。
 私は立ち上がって、そんなお姉ちゃんに覆いかぶさるように抱きしめました。


594: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 13:16:37.51 ID:A61Gh9L10


唯「うい、あったかいね…」

憂「おねえちゃんだって、あったかいよ」

 涙声のお姉ちゃんが真っ赤になった目で私を見つめます。
 大きな瞳の中には、同じような顔の私が小さく映っていました。

唯「ねぇ……うい、やくそく。してくれる…?」

憂「……いいよ、おねえちゃん」

 ――いつか、ほんとの恋人になろうね。

 私は大きくうなづいて、愛する人に最後のキスをしました。
 その味もまた……涙で、ちょっとしょっぱかったです。


596: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/13(水) 13:20:28.50 ID:A61Gh9L10


  ◆  ◆  ◆

梓「……やっぱ、付き合ってたんだ」

憂「えへへ。ばれてた?」

梓「ばれてるっていうか、隠す気なかったじゃん」

憂「そ、そうかな…」


梓「それでさ。明日からなんだよね」

憂「……うん」

梓「唯先輩が、東京で一人暮らしはじめるのって」


676: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 01:55:19.13 ID:a+ZMruKl0


憂「うん。荷物はおととい送っちゃったけどね」

 梓ちゃんの顔がどこか不安げに見えたので、思わず話をそらします。

 事実、お姉ちゃんの部屋はもうからっぽでした。
 本や勉強机、教科書、布団……さまざまなものがまだ置かれているのに、お姉ちゃんの匂いを感じないのです。

 あまりに掃除が行き届いた部屋は、ホテルのように生活感がなくなると聞いたことがあります。
 それはたとえば、きれいすぎる水槽では魚は生きていけないことと似ているのでしょうか。

 数日前まで部屋を埋め尽くしていたダンボール箱がいなくなった今では、部屋に入ってもお姉ちゃんの存在を感じないのです。
 私は今朝、ただの部屋を掃除しているのがつらくなって昼過ぎに梓ちゃんを呼びました。

 そして……お姉ちゃんとのことを、梓ちゃんに話したのです。


678: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 02:12:51.29 ID:a+ZMruKl0


 三年前のあの日。
 お散歩から帰ってきた私たちは、半年ぶりに心療内科への予約を入れました。
 自分の名前の入った診察券を使わなくなったお財布の奥から取り出して、初めてお姉ちゃんと病院に行った日を思い出したりします。

 お姉ちゃんはしばらくチャットをしてからリビングに戻ってたので、一緒に晩ごはんを食べました。
 相変わらずお姉ちゃんは好きなものを口にほおばりすぎてむせるので、なんにも変わってないんだって安心できました。

 それからテーブルを挟んで私たちは少しお話をします。
 距離間について、でした。

 キスはダメ。
 それ以上はもってのほか。
 したら嫌いになる……そう誓いました。

 本当は嫌いになれっこないのだって分かっています。
 ただ、一度そういう振りをするのが大事なことも、互いに分かっていました。

 それを全部分かった上で、私はお姉ちゃんに頼みます。

憂「でも……お姉ちゃんと、手はつなぎたいな。それだけで、それぐらいでいいから」

唯「……そうだね。じゃあどっか行きたいなら、連れてってあげるよ!」

 テーブルから恐る恐る伸ばした手を、お姉ちゃんが両手で握ってくれた時。
 私は、もう一度がんばってみようって思えたんです。


679: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 02:25:07.77 ID:a+ZMruKl0


 お母さんやお父さんと、少しずつ話ができるようになったのもそのころからです。

 お父さんは相変わらず忙しく、お母さんも付き添っているので今でもあまり話す暇はありません。
 でもお散歩した日の後で書いた手紙に、お母さんから返事が来ました。

 小さい頃から仕事の都合でとみおばあちゃんにたびたび預けられていた私たちは、お母さんよりもおばあちゃんになついていたそうです。
 それが腹立たしくて、自分から私たちを遠ざけるような育て方をしてしまった……手紙には、謝罪の言葉とともにそう書いてありました。

唯『……自分勝手だね』

憂『うん…』

唯『でも……お母さんには、感謝してるんだ』

憂『どうして?』

 だって、憂を産んでくれたんだもん。
 そう言ってお姉ちゃんは手をぎゅっとにぎってくれました。


681: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 02:49:09.66 ID:a+ZMruKl0


 私たちは話し合って、少しずつ両親のことを許していこうと決めました。

 親の居ない子供は無理やり大人になろうとするから、かえって途中で子どもに戻ってしまう。
 子どもでいなきゃいけないころに大人の役割を演じだしてしまうと、いずれ子供に逆戻りしてしまう。
 お姉ちゃんのチャット相手の人はそんな話を聞かせてくれたみたいです。

唯『おおきくなったら、ういのおよめさんになるんだ…!』

憂『だめだよお姉ちゃん、そしたら、私がお姉ちゃんのお嫁さんになれないもん……』

唯『……なんか、幼稚園のころもそんな風にいってたよね』

憂『そ……そうかなあ?』

 ういってこどもみたいだね。
 そう言ったお姉ちゃんも、やっぱりこどもみたいにはにかみました。


682: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 02:50:13.75 ID:a+ZMruKl0


 クリスマス近くになって、お母さんだけが帰国しました。
 お父さんは忙しいと聞きましたが……本当は、私たちに会うのが怖いのだと聞きました。

 私たちは、自分たちの関係をそれとなく伝えました。
 否定されるかと思ったら……二人そろって抱きしめられました。

 ――こんなになるまで、逃げてしまってごめんね。

 お姉ちゃんとはどこか違った、私を包み込むように抱きしめる感触。
 変わった感覚にとまどうけれど……いつかはお母さんにも慣れて甘えられるような、そんな気がしました。

 お姉ちゃんの提案で、私たちは仕事でがんばるお父さんのために手紙を書きました。
 それからお父さんとは、エアメールのやりとりをするようになりました。
 私たちは少しずつだけど、家族へと戻っていったのです。


685: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 03:27:11.86 ID:a+ZMruKl0


梓「……なんか、憂たちは大人だなー」

 話を聞いていた梓ちゃんが、ぽつりとつぶやきました。

憂「えっ……そんなこと、ないと思うけど」

梓「共働きっていえばさ、うちもそんな感じだったじゃん」

 梓ちゃんのご両親はプロのギター奏者で、公演でたびたび渡米しているそうです。
 だから梓ちゃんの家も、家に子どもの梓ちゃん一人になることが多かったそうです。
 私は軽音部を通して梓ちゃんと仲良くなって間もないころ、鍵っ子仲間だと分かって距離が近づいたのを思い出しました。

梓「授業参観に来てくれないとか、そんなぐらいだったけどさ。やっぱ、親を許そうって気にはなれなかったよ」

 別に恨んでたりとかしてないけど……距離とかあるんだよね。
 梓ちゃんはそうつぶやくと、うつむいてさみしそうに笑います。

梓「唯先輩がお姉ちゃんだったら、そういう意味で惚れてちゃってたかもしれないなぁ……」

憂「……私は、お姉ちゃんじゃなくても惚れてた気がするよ」

 思わず口にしてしまったら、心の奥にしまっておいた不安のかけらがみるみる大きくなるのを感じました。
 ……お姉ちゃんの一人暮らし、応援するって、決めたのに。


688: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 04:10:27.88 ID:a+ZMruKl0


梓「ところで、さ」

憂「なあに?」

梓「唯先輩って、なんで一人暮らしすることにしたの?」

 そういえばこの質問は軽音部のみなさんにも聞かれました。
 律さんはふざけて「あんなけなげなお姉ちゃんっ子を捨ててどこに行く気だ!」とお姉ちゃんをいじめてたぐらいです。
 そんなことを聞いたらその場に居合わせた私の方が恥ずかしくて、顔から火が出そうでした。

 お姉ちゃんはその時「自立します! 妹に頼ってごろごろする私はもうやめたのです!」と高らかに宣言します。
 その場はどっと沸いて、みなさんもお姉ちゃんと一緒に笑っていたのですが……私は、それほど楽観的にはなれずにいました。

憂「……自立するためって、言ってたよ」

梓「それは聞いたよ。でも、それよりなんかあるんじゃないかなって」

 梓ちゃんは、私の瞳の奥を射抜くような眼差しでじっと見つめます。

憂「……うん。私と、離れて暮らしたいって」


694: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 07:10:26.43 ID:a+ZMruKl0


 卒業式の二、三日前のことでした。
 お風呂から上がって眠る間際、私はお姉ちゃんから一人暮らしすることを聞きました。
 急な話なのでとにかくびっくりしてしまって、思わず問いただすような形になってしまったのを覚えています。

唯「う、ういぃ…あのね憂。そういうわけじゃ、なくてね」

 お姉ちゃんは私を落ち着かせるように、なだめるように語りかけます。

憂「うん」

唯「ほら、憂と私ってさ、ずっと一緒に暮らしてきたじゃん」

憂「……うん。生まれたときから、ずっとだよね」

唯「だから、その……一度、離れて、私が憂と一緒にいていいってことを、ちゃんと確かめたいっていうか…」


695: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 07:21:09.82 ID:a+ZMruKl0


 お姉ちゃんはうまく言葉を選べずにいましたが、その意味ははっきりと私に届きました。
 あの日、公園で交わした言葉が優しい波の音のように耳の奥で響いた気がしました。

憂「私のために……大人になってくれるんだよね」

唯「うん、憂のためだもん……憂も、大人になる前に、ちゃんと大人になるんだよ?」

 お風呂上りのまま髪どめを外したお姉ちゃんが、少し震えた声で私に言いました。
 なんだかお姉ちゃんが私を置いて一歩先に大人になってしまったように見えて――思わず手を伸ばそうとしてしまいます。
 あれ以来、お姉ちゃんに触れることが少し怖くなってしまった私はすぐ手を引っ込めようとしました。

憂「……あ」

唯「えへへ。ぎゅ」

 気づくと私はお姉ちゃんの腕の中で、いつかのように頭をなでられていました。


697: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 07:49:49.26 ID:a+ZMruKl0


唯「……よしよし。いいこいいこ」

 お姉ちゃんは私の身体を抱きしめると、私の頭をやさしくなでてくれました。
 髪の毛をなでられていると、心の奥につかえたものが甘いドロップのように溶けていくようで気持ちよかったです。
 三年以上前から、私は自分で作った壁に閉じ込められそうになるたびにお姉ちゃんはいつでも助けに来てくれました。

 でも、そんなお姉ちゃんが……あと数週間もしないうちに、離れて行ってしまう。

憂「――おねえちゃん…やだよぉ、さみしいよおっ…」

 心の壁がお姉ちゃんの体温で溶けるころ、私の涙もあふれ出してしまいました。


699: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 07:52:07.72 ID:a+ZMruKl0


唯「うい…だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 するとお姉ちゃんは抱きしめた耳元で、またささやいてくれました。
 だいじょうぶ、だいじょうぶ。ういはいいこ、いいこいいこ。
 そんなささやくリズムに合わせて私の心は温かいもので満たされて、落ち着いていきました。

 飴玉のようにころころと甘く鳴る声は、お姉ちゃんだけが使える魔法です。
 お姉ちゃんの歌声が人の心に届くのは当然なのです。


憂「ねぇ、お姉ちゃん、約束……おぼえてる?」

唯「うん! ……忘れたりなんか、しないよ」

 公園のことを思い出して、ちょっと聞いてみました。
 でもすぐに「約束」という言葉ひとつで伝わったことが、私を心から安心させてくれました。

憂「……がんばってね。がんばる、から」

唯「うん。……ずっと、いっしょだからね」

 この手や身体は離れていても、心は繋がっていられる。
 そんな、なんだか小説に出てきそうな言葉でさえも……お姉ちゃんは信じさせてくれたのです。


705: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 08:54:38.75 ID:a+ZMruKl0


憂「――でもね、梓ちゃん」

 二人きりでは広いリビングで、梓ちゃんは私の話をずっと聞いてくれました。
 お昼過ぎにうちに来て、気づけばもう四時を過ぎていました。
 お姉ちゃんとのことをずっと話し込んでしまって、もう四日ぐらい経ってしまったような気もします。

梓「うん」

憂「私、やっぱ……お姉ちゃんいなくなるの、こわい、かも」

梓「それは…しかたないよ」

 お姉ちゃんと一緒にいるときは、上京のことなんて遠い先のように思えていました。
 けれども荷物の整理が始まって、少しずつ家の中からお姉ちゃんのかけらが消えていくにつれて……たまらなくなりました。
 明日が来るのが、怖いんです。
 広すぎるリビングに、ひとり取り残されるのを想像するだけで。

梓「……でもさ。憂は、大丈夫だよ」


708: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 07:49:49.26 ID:a+ZMruKl0


唯「……よしよし。いいこいいこ」

 お姉ちゃんは私の身体を抱きしめると、私の頭をやさしくなでてくれました。
 髪の毛をなでられていると、心の奥につかえたものが甘いドロップのように溶けていくようで気持ちよかったです。
 三年以上前から、私は自分で作った壁に閉じ込められそうになるたびにお姉ちゃんはいつでも助けに来てくれました。

 でも、そんなお姉ちゃんが……あと数週間もしないうちに、離れて行ってしまう。

憂「――おねえちゃん…やだよぉ、さみしいよおっ…」

 心の壁がお姉ちゃんの体温で溶けるころ、私の涙もあふれ出してしまいました。


710: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 07:52:07.72 ID:a+ZMruKl0


唯「うい…だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 するとお姉ちゃんは抱きしめた耳元で、またささやいてくれました。
 だいじょうぶ、だいじょうぶ。ういはいいこ、いいこいいこ。
 そんなささやくリズムに合わせて私の心は温かいもので満たされて、落ち着いていきました。

 飴玉のようにころころと甘く鳴る声は、お姉ちゃんだけが使える魔法です。
 お姉ちゃんの歌声が人の心に届くのは当然なのです。


憂「ねぇ、お姉ちゃん、約束……おぼえてる?」

唯「うん! ……忘れたりなんか、しないよ」

 公園のことを思い出して、ちょっと聞いてみました。
 でもすぐに「約束」という言葉ひとつで伝わったことが、私を心から安心させてくれました。

憂「……がんばってね。がんばる、から」

唯「うん。……ずっと、いっしょだからね」

 この手や身体は離れていても、心は繋がっていられる。
 そんな、なんだか小説に出てきそうな言葉でさえも……お姉ちゃんは信じさせてくれたのです。


716: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 08:54:38.75 ID:a+ZMruKl0


憂「――でもね、梓ちゃん」

 二人きりでは広いリビングで、梓ちゃんは私の話をずっと聞いてくれました。
 お昼過ぎにうちに来て、気づけばもう四時を過ぎていました。
 お姉ちゃんとのことをずっと話し込んでしまって、もう四日ぐらい経ってしまったような気もします。

梓「うん」

憂「私、やっぱ……お姉ちゃんいなくなるの、こわい、かも」

梓「それは…しかたないよ」

 お姉ちゃんと一緒にいるときは、上京のことなんて遠い先のように思えていました。
 けれども荷物の整理が始まって、少しずつ家の中からお姉ちゃんのかけらが消えていくにつれて……たまらなくなりました。
 明日が来るのが、怖いんです。
 広すぎるリビングに、ひとり取り残されるのを想像するだけで。

梓「……でもさ。憂は、大丈夫だよ」


720: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 09:50:27.89 ID:a+ZMruKl0


憂「そう、かな…?」

梓「てかさ、知ってる? 唯先輩って、一緒に練習してても憂の話ばっかしてるの」

憂「そ、そんなになの?」

梓「平沢姉妹は互いののろけ話しかしてこない、って純もあきれてたよ…」

 私といるときは梓ちゃんの話が多かったので、ちょっと意外でした。
 高校一年のころ、梓ちゃんと仲良くなる前に勝手にやきもち焼いてしまった私がばかみたいです……。

梓「お互いがいない時でも、ずっとお互いのこと考えてるんだよ。大丈夫じゃないわけないじゃん」

憂「そうだったら……うれしいな」

 知らないところでお姉ちゃんが私の話をしているのは……見てみたいような、恥ずかしいような気もします。
 ――大学入っても、唯先輩はあんな感じなんだろうね。
 ちょっとあきれた笑いとともに梓ちゃんがつぶやきました。
 だけど実感の伴ったその言葉は、大学生になるお姉ちゃんとの未来から不安を取り除いてくれたみたいです。

梓「それに……」

憂「それに?」

梓「あっうんなんでもない。ってかもう夕方だし、唯先輩そろそろ帰ってくるんじゃない?」

 梓ちゃんははっとしたように顔をあげたかと思うと、ごまかすように笑って話をそらします。
 とっさに何かを隠したみたいですが、不思議とわるい予感はしませんでした。


723: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 10:33:14.76 ID:a+ZMruKl0


 しばらくして、梓ちゃんと入れ替わりにお姉ちゃんが帰ってきました。

唯「あずにゃん、うちの憂を頼んだよっ」

梓「嫁に出すみたいなこと言わないでください…」

憂「えへへ、じゃあ梓ちゃんこれからもよろしくね?」

唯「えっ…! あずにゃんあずにゃん、妹にうわきされたよぉ!」

憂「そんなことないよ、私はお姉ちゃんのものだもん!」

梓「ねぇ私帰っていいよね、憂…」

 お姉ちゃんが帰ってきたとたん、窓の外からやわらかな光が射し込むように部屋があったかくなったようです。
 帰りたいとぐちをこぼす梓ちゃんも、そんな私たちのことをほほえみ混じりに見守っていました。


727: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 10:49:49.86 ID:a+ZMruKl0


梓「じゃあ……唯先輩、お元気で」

唯「って言っても、来週の日曜にはスタジオ入りだけどねぇ」

 桜高軽音部を引退したお姉ちゃんたちですが、放課後ティータイムはそれとは別に継続していくみたいです。
 私も梓ちゃんの軽音部に入るために紬さんにキーボードを習い始めたので、いつかお姉ちゃんと演奏するかもしれません。

唯「憂もがんばってね、今年の演芸大会はゆいういで出場するから!」

 お姉ちゃんは私の両肩に手を置いて、なにやら気合いを入れてくれます。
 そんな姿を見ていた梓ちゃんは少しほほえみながら、楽しみにしてるね、と言ってくれました。

 梓ちゃんが帰った後、私はお姉ちゃんと一緒に晩ごはんを作りました。
 お姉ちゃんはしばらく前から私に料理を習いはじめました。
 こうして毎日一緒に作るのも、最後だと思うとちょっとこみ上げてくるものがあります。

唯「うい、どしたの?」

憂「……たまねぎ、切ってただけだよ」

唯「そっかぁ。じゃあ、代わりに切ったげるよ」

 お姉ちゃんが手を差し伸べてくれましたが、遠慮しておきました。
 なんとなく、私にできることは私がやらなきゃいけない気がしたんです。


728: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:02:44.76 ID:a+ZMruKl0


 二人で食べる、最後の晩ごはんを食べ終わった後、お姉ちゃんは言いました。

唯「今日はさ。久しぶりに、お風呂はいろっか」

 一瞬悩んだ私の手を、お姉ちゃんが強く引っ張ります。

憂「うん……じゃあ、身体洗いっこしたいな」

唯「そうだね! ひさしぶりだからねぇ」

 お互いに「最後」という言葉を避けながら話しているみたいです。

 私は着替えを持って、お姉ちゃんの待つ浴室へと向かいます。
 曇りガラスの向こう側にぼやけて揺れるお姉ちゃんの肌が見えました。
 なにやら歌声が聞こえます。あのメロディーはたしか――

唯「あ。ういー! はやくはやく、私から洗うからねっ」


731: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:21:50.99 ID:a+ZMruKl0


 私たちは久しぶりに、互いの身体を洗い合いました。
 あの日から成長して身体の形も変わったような気がしましたが、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんです。

唯「なんかういのおっぱい見てると負けた気がしてくる…」

 本当に残念そうにぼやくのですが、私はお姉ちゃんの身体の方がきれいでうらやましいです。
 お姉ちゃんのすべすべした肌を、かつてお姉ちゃんがやってくれたみたいに丁寧に洗いました。
 明日は、きれいな格好で出発してほしかったのです。

唯「うい、ありがと。とってもきもちよかったよ!」

 一緒に入ったお風呂の中で、久しぶりにちょっと抱きついてみたりして。
 お風呂の蒸気の中で、こんな温かさが当たり前に続くような……そんな感覚にさえとらわれました。

 窓の外からはどこか遠くで、虫の音が聞こえていました。
 私はお風呂の中でお姉ちゃんに抱きしめられながら、ぼんやりとその歌声を聴いていました。
 あと数時間で日付が変わるときのことでした。


733: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:46:59.60 ID:a+ZMruKl0


 お風呂から上がったあと、繋いだ手を離さないように気をつけて私の部屋に向かいました。
 今夜ぐらいは一緒の布団で寝ることになったのです。

 半日前までは、お姉ちゃんにふれることすら怖かったです。
 やわらかい感触を思い出してしまったら、昔みたいに引き止めてしまいそうな気がして。
 でも、きょう梓ちゃんといろいろ話せたからなのか、先の不安も前よりは薄れました。
 だから今日は、お姉ちゃんにいっぱい甘えることができたのです。

 暗い布団の中で手をにぎりあって、お姉ちゃんとお話します。

憂「ねぇ」

唯「……なあに? うい」


憂「……すき、だよ。」


735: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:56:15.13 ID:a+ZMruKl0


唯「………うん」

憂「すき、じゃないけどね。……おねえちゃんのこと」

唯「……えへへ。おぼえてるんだね」

憂「忘れられるわけ、ないよ。おねえちゃん」

 お姉ちゃんは私をぎゅっと抱きしめると、つづきをいって、とささやきました。

 私は、散歩の日に交わした言葉を……声に出してお姉ちゃんに返しました。


唯「うん……わたしもだよ。うい」

 お姉ちゃんはふわっとほほえんで、かわんないね、と言います。
 その言葉でなんだかとても落ち着いた気がしたので、ありがとう、と伝えました。

 あの日ベンチで交わしたその後のやりとりも、はっきりと覚えています。
 けれども分かりきった台本をなぞるのはやめて、お姉ちゃんを抱きしめたまま眠ることにしました。

 うすらぼやけた意識の狭間で、眠りの海のさざなみを感じるころ。
 くちびるが熱いもので満たされた気がしました。
 夢うつつの私は手をぎゅっとにぎりかえして、深い眠りについたのです。


740: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 10:49:49.86 ID:a+ZMruKl0


梓「じゃあ……唯先輩、お元気で」

唯「って言っても、来週の日曜にはスタジオ入りだけどねぇ」

 桜高軽音部を引退したお姉ちゃんたちですが、放課後ティータイムはそれとは別に継続していくみたいです。
 私も梓ちゃんの軽音部に入るために紬さんにキーボードを習い始めたので、いつかお姉ちゃんと演奏するかもしれません。

唯「憂もがんばってね、今年の演芸大会はゆいういで出場するから!」

 お姉ちゃんは私の両肩に手を置いて、なにやら気合いを入れてくれます。
 そんな姿を見ていた梓ちゃんは少しほほえみながら、楽しみにしてるね、と言ってくれました。

 梓ちゃんが帰った後、私はお姉ちゃんと一緒に晩ごはんを作りました。
 お姉ちゃんはしばらく前から私に料理を習いはじめました。
 こうして毎日一緒に作るのも、最後だと思うとちょっとこみ上げてくるものがあります。

唯「うい、どしたの?」

憂「……たまねぎ、切ってただけだよ」

唯「そっかぁ。じゃあ、代わりに切ったげるよ」

 お姉ちゃんが手を差し伸べてくれましたが、遠慮しておきました。
 なんとなく、私にできることは私がやらなきゃいけない気がしたんです。


741: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:02:44.76 ID:a+ZMruKl0


 二人で食べる、最後の晩ごはんを食べ終わった後、お姉ちゃんは言いました。

唯「今日はさ。久しぶりに、お風呂はいろっか」

 一瞬悩んだ私の手を、お姉ちゃんが強く引っ張ります。

憂「うん……じゃあ、身体洗いっこしたいな」

唯「そうだね! ひさしぶりだからねぇ」

 お互いに「最後」という言葉を避けながら話しているみたいです。

 私は着替えを持って、お姉ちゃんの待つ浴室へと向かいます。
 曇りガラスの向こう側にぼやけて揺れるお姉ちゃんの肌が見えました。
 なにやら歌声が聞こえます。あのメロディーはたしか――

唯「あ。ういー! はやくはやく、私から洗うからねっ」


744: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:21:50.99 ID:a+ZMruKl0


 私たちは久しぶりに、互いの身体を洗い合いました。
 あの日から成長して身体の形も変わったような気がしましたが、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんです。

唯「なんかういのおっぱい見てると負けた気がしてくる…」

 本当に残念そうにぼやくのですが、私はお姉ちゃんの身体の方がきれいでうらやましいです。
 お姉ちゃんのすべすべした肌を、かつてお姉ちゃんがやってくれたみたいに丁寧に洗いました。
 明日は、きれいな格好で出発してほしかったのです。

唯「うい、ありがと。とってもきもちよかったよ!」

 一緒に入ったお風呂の中で、久しぶりにちょっと抱きついてみたりして。
 お風呂の蒸気の中で、こんな温かさが当たり前に続くような……そんな感覚にさえとらわれました。

 窓の外からはどこか遠くで、虫の音が聞こえていました。
 私はお風呂の中でお姉ちゃんに抱きしめられながら、ぼんやりとその歌声を聴いていました。
 あと数時間で日付が変わるときのことでした。


746: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:46:59.60 ID:a+ZMruKl0


 お風呂から上がったあと、繋いだ手を離さないように気をつけて私の部屋に向かいました。
 今夜ぐらいは一緒の布団で寝ることになったのです。

 半日前までは、お姉ちゃんにふれることすら怖かったです。
 やわらかい感触を思い出してしまったら、昔みたいに引き止めてしまいそうな気がして。
 でも、きょう梓ちゃんといろいろ話せたからなのか、先の不安も前よりは薄れました。
 だから今日は、お姉ちゃんにいっぱい甘えることができたのです。

 暗い布団の中で手をにぎりあって、お姉ちゃんとお話します。

憂「ねぇ」

唯「……なあに? うい」


憂「……すき、だよ。」


748: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:56:15.13 ID:a+ZMruKl0


唯「………うん」

憂「すき、じゃないけどね。……おねえちゃんのこと」

唯「……えへへ。おぼえてるんだね」

憂「忘れられるわけ、ないよ。おねえちゃん」

 お姉ちゃんは私をぎゅっと抱きしめると、つづきをいって、とささやきました。

 私は、散歩の日に交わした言葉を……声に出してお姉ちゃんに返しました。


唯「うん……わたしもだよ。うい」

 お姉ちゃんはふわっとほほえんで、かわんないね、と言います。
 その言葉でなんだかとても落ち着いた気がしたので、ありがとう、と伝えました。

 あの日ベンチで交わしたその後のやりとりも、はっきりと覚えています。
 けれども分かりきった台本をなぞるのはやめて、お姉ちゃんを抱きしめたまま眠ることにしました。

 うすらぼやけた意識の狭間で、眠りの海のさざなみを感じるころ。
 くちびるが熱いもので満たされた気がしました。
 夢うつつの私は手をぎゅっとにぎりかえして、深い眠りについたのです。


757: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 13:14:50.95 ID:a+ZMruKl0


 朝、私はお姉ちゃんの腕の中で目を覚ましました。
 手が繋いだままになっていたのがうれしかったです。

憂「お姉ちゃん……朝だよ、おきて」

唯「ん……うい、おはよう」

 今朝も今までみたいにお姉ちゃんを起こして、一緒に朝ごはんを食べました。
 私の作ったハムエッグに、お姉ちゃんはおいしいと言ってくれます。
 いつも通りの朝、変わらない会話。
 それは私に、お姉ちゃんと二人で一緒に暮らす日々が、ずっと続くんじゃないかって錯覚を起こしました。
 もう、電車の時間は近づいているのに。


憂「じゃあ……そろそろ行こっか」

唯「あ、憂。その前に、ちょっと聴いてほしい曲があるのですが……」

 ふいにお姉ちゃんがそんなことを言ってはにかんだのです。


758: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 13:18:44.90 ID:a+ZMruKl0


 私はわけも分からずお姉ちゃんの部屋に手を引かれます。
 すると、昨日までなかったはずのアンプとお姉ちゃんのギターがそこにありました。

憂「どうしたの……?」

唯「えへへ、実はあずにゃんにこっそり持ってきてもらったんだぁ」

 昨日の梓ちゃんの不自然な様子と、今のお姉ちゃんとがつながります。
 そっか……こういうことだったんだ。

唯「あずにゃんと練習したからね! 憂だけのための、アコースティックバージョンなんだよっ」

 鼻息荒く、お姉ちゃんは気合を入れます。
 けどアンプにつないでる時点で、アコースティックじゃないんじゃないかな……。

 お姉ちゃんは慣れた手つきでギターをチューニングしなおすと、アンプのスイッチを入れました。
 そうしてベッドに腰掛けた私の前に立ち、ギターを構えます。
 ……お姉ちゃんの大きな瞳が、やさしく細められました。

唯「じゃあ最後に一曲だけ聴いてください。 ――U&I、ソロバージョン!」

 そうして世界で一曲だけの、お姉ちゃんが私だけに向けた歌が始まりました。


759: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 13:33:14.86 ID:a+ZMruKl0


 U&Iは、私が世界で一番好きな曲です。

 お姉ちゃんが部活で遅くなる間、カセットテープに録ったのを何度も何度も聞き返したり。
 晩ごはんを作っている時に、思わず口ずさんでしまったり。
 そういえば、鼻歌で歌っていたらお姉ちゃんがハミングしてくれたこともありました。

 メロディ、息遣い、楽器の演奏、お姉ちゃんの歌声……そのどれもが、私の中でずっと鳴り止まずに残っているものです。
 お姉ちゃんは、歌いながら少し涙ぐんでいました。
 私もときどき目頭をこすりながら、お姉ちゃんの歌う姿を目に焼き付けようとしました。


 ――ありったけの 「ありがとう」

   歌に乗せて 届けたい

   この気持ちは ずっとずっと 忘れないよ

 演奏が終わってギターが置かれ、アンプの音がぷつんと切れたとき。
 私はお姉ちゃんを抱きしめました。

 ……届いたよ、お姉ちゃんの歌。


762: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 10:49:49.86 ID:a+ZMruKl0


梓「じゃあ……唯先輩、お元気で」

唯「って言っても、来週の日曜にはスタジオ入りだけどねぇ」

 桜高軽音部を引退したお姉ちゃんたちですが、放課後ティータイムはそれとは別に継続していくみたいです。
 私も梓ちゃんの軽音部に入るために紬さんにキーボードを習い始めたので、いつかお姉ちゃんと演奏するかもしれません。

唯「憂もがんばってね、今年の演芸大会はゆいういで出場するから!」

 お姉ちゃんは私の両肩に手を置いて、なにやら気合いを入れてくれます。
 そんな姿を見ていた梓ちゃんは少しほほえみながら、楽しみにしてるね、と言ってくれました。

 梓ちゃんが帰った後、私はお姉ちゃんと一緒に晩ごはんを作りました。
 お姉ちゃんはしばらく前から私に料理を習いはじめました。
 こうして毎日一緒に作るのも、最後だと思うとちょっとこみ上げてくるものがあります。

唯「うい、どしたの?」

憂「……たまねぎ、切ってただけだよ」

唯「そっかぁ。じゃあ、代わりに切ったげるよ」

 お姉ちゃんが手を差し伸べてくれましたが、遠慮しておきました。
 なんとなく、私にできることは私がやらなきゃいけない気がしたんです。


763: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:02:44.76 ID:a+ZMruKl0


 二人で食べる、最後の晩ごはんを食べ終わった後、お姉ちゃんは言いました。

唯「今日はさ。久しぶりに、お風呂はいろっか」

 一瞬悩んだ私の手を、お姉ちゃんが強く引っ張ります。

憂「うん……じゃあ、身体洗いっこしたいな」

唯「そうだね! ひさしぶりだからねぇ」

 お互いに「最後」という言葉を避けながら話しているみたいです。

 私は着替えを持って、お姉ちゃんの待つ浴室へと向かいます。
 曇りガラスの向こう側にぼやけて揺れるお姉ちゃんの肌が見えました。
 なにやら歌声が聞こえます。あのメロディーはたしか――

唯「あ。ういー! はやくはやく、私から洗うからねっ」


766: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:21:50.99 ID:a+ZMruKl0


 私たちは久しぶりに、互いの身体を洗い合いました。
 あの日から成長して身体の形も変わったような気がしましたが、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんです。

唯「なんかういのおっぱい見てると負けた気がしてくる…」

 本当に残念そうにぼやくのですが、私はお姉ちゃんの身体の方がきれいでうらやましいです。
 お姉ちゃんのすべすべした肌を、かつてお姉ちゃんがやってくれたみたいに丁寧に洗いました。
 明日は、きれいな格好で出発してほしかったのです。

唯「うい、ありがと。とってもきもちよかったよ!」

 一緒に入ったお風呂の中で、久しぶりにちょっと抱きついてみたりして。
 お風呂の蒸気の中で、こんな温かさが当たり前に続くような……そんな感覚にさえとらわれました。

 窓の外からはどこか遠くで、虫の音が聞こえていました。
 私はお風呂の中でお姉ちゃんに抱きしめられながら、ぼんやりとその歌声を聴いていました。
 あと数時間で日付が変わるときのことでした。


768: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:46:59.60 ID:a+ZMruKl0


 お風呂から上がったあと、繋いだ手を離さないように気をつけて私の部屋に向かいました。
 今夜ぐらいは一緒の布団で寝ることになったのです。

 半日前までは、お姉ちゃんにふれることすら怖かったです。
 やわらかい感触を思い出してしまったら、昔みたいに引き止めてしまいそうな気がして。
 でも、きょう梓ちゃんといろいろ話せたからなのか、先の不安も前よりは薄れました。
 だから今日は、お姉ちゃんにいっぱい甘えることができたのです。

 暗い布団の中で手をにぎりあって、お姉ちゃんとお話します。

憂「ねぇ」

唯「……なあに? うい」


憂「……すき、だよ。」


770: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 11:56:15.13 ID:a+ZMruKl0


唯「………うん」

憂「すき、じゃないけどね。……おねえちゃんのこと」

唯「……えへへ。おぼえてるんだね」

憂「忘れられるわけ、ないよ。おねえちゃん」

 お姉ちゃんは私をぎゅっと抱きしめると、つづきをいって、とささやきました。

 私は、散歩の日に交わした言葉を……声に出してお姉ちゃんに返しました。


唯「うん……わたしもだよ。うい」

 お姉ちゃんはふわっとほほえんで、かわんないね、と言います。
 その言葉でなんだかとても落ち着いた気がしたので、ありがとう、と伝えました。

 あの日ベンチで交わしたその後のやりとりも、はっきりと覚えています。
 けれども分かりきった台本をなぞるのはやめて、お姉ちゃんを抱きしめたまま眠ることにしました。

 うすらぼやけた意識の狭間で、眠りの海のさざなみを感じるころ。
 くちびるが熱いもので満たされた気がしました。
 夢うつつの私は手をぎゅっとにぎりかえして、深い眠りについたのです。


779: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 13:14:50.95 ID:a+ZMruKl0


 朝、私はお姉ちゃんの腕の中で目を覚ましました。
 手が繋いだままになっていたのがうれしかったです。

憂「お姉ちゃん……朝だよ、おきて」

唯「ん……うい、おはよう」

 今朝も今までみたいにお姉ちゃんを起こして、一緒に朝ごはんを食べました。
 私の作ったハムエッグに、お姉ちゃんはおいしいと言ってくれます。
 いつも通りの朝、変わらない会話。
 それは私に、お姉ちゃんと二人で一緒に暮らす日々が、ずっと続くんじゃないかって錯覚を起こしました。
 もう、電車の時間は近づいているのに。


憂「じゃあ……そろそろ行こっか」

唯「あ、憂。その前に、ちょっと聴いてほしい曲があるのですが……」

 ふいにお姉ちゃんがそんなことを言ってはにかんだのです。


780: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 13:18:44.90 ID:a+ZMruKl0


 私はわけも分からずお姉ちゃんの部屋に手を引かれます。
 すると、昨日までなかったはずのアンプとお姉ちゃんのギターがそこにありました。

憂「どうしたの……?」

唯「えへへ、実はあずにゃんにこっそり持ってきてもらったんだぁ」

 昨日の梓ちゃんの不自然な様子と、今のお姉ちゃんとがつながります。
 そっか……こういうことだったんだ。

唯「あずにゃんと練習したからね! 憂だけのための、アコースティックバージョンなんだよっ」

 鼻息荒く、お姉ちゃんは気合を入れます。
 けどアンプにつないでる時点で、アコースティックじゃないんじゃないかな……。

 お姉ちゃんは慣れた手つきでギターをチューニングしなおすと、アンプのスイッチを入れました。
 そうしてベッドに腰掛けた私の前に立ち、ギターを構えます。
 ……お姉ちゃんの大きな瞳が、やさしく細められました。

唯「じゃあ最後に一曲だけ聴いてください。 ――U&I、ソロバージョン!」

 そうして世界で一曲だけの、お姉ちゃんが私だけに向けた歌が始まりました。


781: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 13:33:14.86 ID:a+ZMruKl0


 U&Iは、私が世界で一番好きな曲です。

 お姉ちゃんが部活で遅くなる間、カセットテープに録ったのを何度も何度も聞き返したり。
 晩ごはんを作っている時に、思わず口ずさんでしまったり。
 そういえば、鼻歌で歌っていたらお姉ちゃんがハミングしてくれたこともありました。

 メロディ、息遣い、楽器の演奏、お姉ちゃんの歌声……そのどれもが、私の中でずっと鳴り止まずに残っているものです。
 お姉ちゃんは、歌いながら少し涙ぐんでいました。
 私もときどき目頭をこすりながら、お姉ちゃんの歌う姿を目に焼き付けようとしました。


 ――ありったけの 「ありがとう」

   歌に乗せて 届けたい

   この気持ちは ずっとずっと 忘れないよ

 演奏が終わってギターが置かれ、アンプの音がぷつんと切れたとき。
 私はお姉ちゃんを抱きしめました。

 ……届いたよ、お姉ちゃんの歌。


782: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 13:45:04.62 ID:a+ZMruKl0


 そろそろお姉ちゃんが出発する時間です。
 私は駅まで、お姉ちゃんを見送ることにしました。

 ここから東京まではおよそ一時間ぐらいで、それほど離れた距離ではありません。
 手を伸ばせば、届く。会いたくなったら、会いにいける。
 それはこれからのお姉ちゃんと私のためにちょうどいい距離なのだと思います。

 玄関先で靴を履くと、お姉ちゃんはドアを開けました。
 ドアのすき間からはやわらかな陽の光が差し込んで、向こう側の世界が色鮮やかに映ります。

唯「じゃあ、行こっか」

憂「うん」

 私はお姉ちゃんと手をつないで、外へ出ました。
 やわらかくてあったかい手を、ぎゅっと握り締めて。


784: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 14:18:56.90 ID:a+ZMruKl0


 お姉ちゃんと二人で、家の前の道を並んで歩きます。
 駅への道のりも途中までは通学路と一緒なので、歩いているといろいろなことを思い出します。

 家を出て少し歩くと、住宅街を抜けて広い道に出ます。
 途中で和ちゃんやとみおばあちゃんと小さい頃から一緒に遊んだあの公園が見えました。
 錆び付いたブランコが風に揺れて、細くきいきいと鳴いています。

唯「かわらないねぇ」

憂「そうだね」

 しばらく駅に向かって歩くと、家の近くの川が見えてきました。

 橋を渡っていると、欄干の下で川面に陽の光が天の川のように光っていました。
 そういえば塾の帰り道に、いつもこの橋を純ちゃんとお姉ちゃんと三人で渡って帰っていました。
 ここから見る夜空はとてもきれいで、二人の間で両手を握られて見たのを思い出します。

唯「ねぇ、うい」

憂「なあに?」

唯「……卒業したら、うちに来てほしい、かも」

 お姉ちゃんは、手をきゅっと強く握りしめます。
 車が一台、私たちの後ろ側から走り抜け、追い越していきます。
 声に出そうとした言葉はその走行音にかき消され……そのままでした。


785: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 14:42:42.98 ID:a+ZMruKl0


 駅に着きました。
 私はパスモで改札を抜けようとしたのですが、チャージ金額が足りなくて引っかかってしまいます。
 しょうがないので券売機でチャージしなおして、無事に改札を通りました。
 向こう側ではギターを背負ったお姉ちゃんがもう待っていて、私は慌てて追いつきます。

 上り電車のホームに着くと、人はまばらでした。
 平日の十時過ぎだと利用客も少ないみたいです。

唯「……ねえ、」

 お姉ちゃんが何かを言おうとした時、構内放送が流れました。

 『まもなく二番線に電車がまいります』

憂「お姉ちゃん……」

 電車の近づく音が少しずつ大きくなってきました。
 あの電車が来たら、お姉ちゃんともう離れ離れになる。
 そう考えるだけで息が詰まって……伝えたかったことも、言葉にならなくなってしまいます。


787: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 14:50:14.21 ID:a+ZMruKl0


唯「うい……しっかりだよ」

憂「………うん」

唯「お姉ちゃんも、がんばるから」


憂「……じゃあ、待ってて」

唯「んー?」


 私は、振り向いたお姉ちゃんを抱きしめました。


789: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 15:41:22.98 ID:a+ZMruKl0


 ホームの白線から足を踏み出して、車内に足を一歩踏み入れたお姉ちゃんを抱きしめます。
 発車のベルが鳴り響くまでの数分間、お姉ちゃんは私に身体を預けてくれました。
 みるみるうちに涙があふれてきて、私はお姉ちゃんの服を汚してしまいました。

憂「あのねっ…おねえちゃん、わたし……」

唯「……だいじょうぶだよ、うい。だいじょうぶだからね」

 いままでと同じように、お姉ちゃんは頭をなでて大丈夫と言ってくれます。

憂「わたし…ほんとの、ほんとの恋人になるっ、からぁ……」

唯「……そうだね、大人にならなくちゃ、だよね。やくそく、だもんっ」

 いつしかお姉ちゃんも涙声になっていました。
 時間が止まってほしい――そう思った瞬間、発射のベルが辺りに響きはじめました。


790: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 15:43:39.55 ID:a+ZMruKl0


 お姉ちゃんは私の腕をそっとはずして、ふるえる私の手を両手でにぎりしめました。

唯「……うい、まってるからね?」

憂「うん、おねえちゃん、ぜったい…おねえちゃんのとこ、いくから…!」

 ベルが鳴り終わる寸前に、お姉ちゃんは私の顔を引き寄せて、口づけをしました。

 唇から愛する人の熱が伝わった、ほんの数秒後。
 私はホームの側にそっと押し戻され、ドアが閉まりました。
 泣き顔のお姉ちゃんを乗せた電車は動きだし、次第に遠く小さくなって、やがて見えなくなったのでした。


794: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 15:55:43.68 ID:a+ZMruKl0


 取り残された私は、顔をぐしゃぐしゃにした涙を拭う気力も出ないままふらふらと階段を上ります。

 いまもひくひくと少ししゃくりあげながら、改札へと戻りました。

 改札を抜けようとしたとき、お財布を落としてしまいました。
 中のものが散らばって、慌ててかき集めます。
 そんな中……懐かしいものがそこにありました。

  『ゆい&うい』

      『ずっといっしょだよ!』

 六年前にお姉ちゃんと一緒に映った、プリクラ写真です。
 中学一年生のお姉ちゃんはその頃の私を抱きしめて、キスをせがんでいました。


795: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 16:06:30.64 ID:a+ZMruKl0


憂「あは……お姉ちゃん、変わってないなあっ…」

 なんとなく……自分の手のひらをひろげて、プリクラの中の自分と眺めてみました。
 小学生の頃と違って大きくはなったけれど、右手首の骨がすこしずれているのは変わりません。

 唇から心の奥へと流れ込んだ、熱のようなもの。
 絡め合わせた指と、少しの汗に溶けあった手のひら。
 耳元のささやき声はあのメロディーと溶け合って、はっきりとお姉ちゃんの歌声となって頭の中を満たします。

憂「……変わっても、変わらないよね?」

 写真のお姉ちゃんに問いかけたら、そのままの笑顔でうなづいたように見えました。

 ――だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。

 耳元でささやく声が、聞こえた気がしたのです。
 私はそのお守りをお財布の中にしまうと、ハンカチで顔を拭いて立ち上がりました。

 駅を出て見上げると、海のように澄んだ青空がロータリーの上空に広がっていました。
 お天道様も照っていて、なんだか散歩するのにちょうどいい天気です。


憂「……うん。がんばろっと」

 大きく伸びをした私は、頭の中のメロディーを口ずさみながら、また家に向かって歩きました。
 それは三月のよく晴れた水曜日のことでした。


おわり。


797: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 16:09:08.55 ID:a+ZMruKl0

読んでくれた人ありがとう 保守してくれた人、本当にありがとう
前に唯梓書いたら唯憂のイチャチャするSSも作ってと言われたんでやってみたらなぜか重たい話に どうしてこうなった…
しかし長引かせて本当に申し訳なかった 今度はもっとちゃんとする
とりあえず次は憂と梓が唯を後押しするか、唯が憂のブログを読むか、憂が寄り道する話にする


↓以下、憂ちゃんが作ってくれそうな料理を紹介するスレ


799: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 16:13:34.51 ID:4T9x8yUkO


ながかったが名作だった


802: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 16:17:24.08 ID:eYuGc5Mm0

乙 とりあえず完結してくれてよかった
できるならこの後の話も少し書いてほしいと思った


826: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 17:04:37.93 ID:IlEqd61eO


すごく病的でした
運動会はキチンと謝ればいいし、
選挙では誤解をとく努力もしてない
心の中で言い訳しても他人にはわからないよ
鬱は甘えを見事に表現したな

でも内容より遅筆の印象が強くて勿体ない


827: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/14(木) 17:12:28.30 ID:DF49M4lZ0

乙!
かなり長いから書きだめしてからのほうがいいかも


861: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/15(金) 00:28:45.66 ID:HLXvNVS80

普通に面白かった
ここまでちゃんと書ける書き手はなかなかいないよ
アンチは気にスンナ


872: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/10/15(金) 07:31:31.60 ID:MUDByBexO

かなり面白かった
唯と憂だからこそ深みのある話だったに


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